December 22, 2023

人々の日常生活の中に宿る「美」。

メルバ・プリーア駐日メキシコ大使。大使公邸の内部は東京の中心地というロケーションにも関わらずとても静かだ。リビングスペースは、メキシコ文化を象徴する色彩豊かな壁の色や調度品、テキスタイルで溢れている。
PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

1609年、千葉県の御宿にメキシコの船が漂着し、地元住民が乗船していたメキシコ人船員を救助したことをきっかけに始まったメキシコと日本の友好関係は、来年2014年に415年を迎える。

東京都千代田区にあるメキシコ大使館は、メキシコ人建築家のロレンソ・カラスコとギジェルモ・ロッセル・デ・ラ・ラマ、そして日本人建築家の大江宏の設計により1963年に完成したものだ。ここでメルバ・プリーア駐日メキシコ大使がインタビューに応じ、日墨文化間の対話を象徴する、自身のお気に入りの品々を紹介し、両国の長きにわたる友好関係について語ってもらった。

プリーア大使は伝統的なこけし1体と、メキシコ風だが実際は日本人工芸家が制作したこけし3体を見せながら、「どれもこけしではありますが、みんな違っていますね」と言った。そのうちの1体は、メキシコに暮らす先住民族で主にメキシコ中部の高原地帯に住むウィチョル族のカラフルなビーズアートを施したものだ。これを作った日本人作家は、メキシコを訪問した際にウィチョル族のアートに出会い、彼らのビーズの技術をこけし作品に取り入れたのだとプリーア大使は話す。

竹が材料の茶筅(ちゃせん)と木製のモリニージョ。モリニージョは牛乳の中に固形のチョコレートを入れ、かき混ぜ、泡立てて作るホットチョコレートに使われる道具。
PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

何世紀にもわたる文化交流を通し、両国の間には芸術的な相互作用を促すような機会が数多くあった。最近の例として、メキシコの歴史、文化、芸術を代表した2つの展覧会がある。ひとつは、メキシコの独立200周年を記念して千葉県にある<市原湖畔美術館>で2021年に開催された『メヒコの衝撃』と題された展覧会がある。20世紀初頭から今日にいたるまで、北川民次、岡本太郎、河原温、利根山光人などの日本を代表する芸術家がメキシコの芸術や文化から受けた影響を示す作品群が展示された。

もうひとつは今年東京と福岡で開催され、2024年2月6日からは大阪の<国立国際美術館>での会期が始まる『古代メキシコ』展だ。メキシコにおいて、それぞれ異なる時代に異なる地域で繁栄したマヤ、アステカ、テオティワカンの文明を代表する140点の遺物が展示される。これらの文明には普遍的価値があり、その全体像を解き明かす作業が今も継続中だ。「メキシコの専門家の中に日本の考古学者も加わって遺跡の発掘を進めていることを嬉しく思っています」と大使は語った。

プリーア大使が感じるメキシコと日本の類似性のひとつは連綿と続く文化だという。「建築、テキスタイル、陶芸、絵画から映画まで、どちらの国にも非常に伝統的な芸術家から先鋭的で現代的なクリエイターまで存在しています」。さらに、芸術の世界だけでなく、人々の日常においても、新旧の文化の組み合わせや、メキシコと日本の文化の融合が見られると続けた。「わたし自身も帯をテーブルランナーにしたり、現代の洋服に合わせて身につけたりすることがありますし、我々の国に古くからあるメキシカンブラウスを着ている日本人を街で見かけることもあります」と大使は言う。

大使は「美は日常に宿ります」と話を続け、歴史的価値のあるものから日常使いのものまで新旧さまざまな両国の陶器を見せてくれた。「タラベラ」はスペイン人がメキシコにもたらした、白と藍が特徴的な陶器だ。大使が所有する日本の陶器にも藍が使われている。「先住民の陶器や日本の抹茶用の茶碗は荒々しく不完全な形のものもあるかもしれませんが、誰かの手によって作られたものの美しさが確かにそこにあるのです。重要なのは、いかにして身の回りにある要素を使って、人々の暮らしの中に居場所を見つけられる美を作り出すかということです」と語る。

さらに大使は茶筅(ちゃせん)を手に取り、「これは世界で最も美しいもののひとつだと思います。竹を削るだけでこれだけのものができるのですから」と言った。茶筅が抹茶を点てるためにあるように、メキシコにはホットチョコレートを泡立てるために使う“モリニージョ”と呼ばれる道具がある。「私の実家にはサイズもデザインもさまざまなものありました。複雑に模様が彫られているものやシンプルなもの、リングが多いもの、少ないもの。リングが多ければ多いほどよく泡立ちます」と大使。これもまた芸術作品のようにも見える。また、地球の真反対に位置する日本とメキシコ、両方の国に、伝統的な飲み物を似たような方法で作るための茶筅とモリニージョという道具が存在するということは、「メキシコと日本が対話しているようですね」とプリーア大使は言う。

モダンなデザインが目を惹く、1963年竣工の大使公邸の外観。前面の赤い壁と植栽の緑は、メキシコ国旗を象徴している。

大使公邸の内部空間。天気や時間帯によって光の差し込み具合が異なり、さまざまな表情を楽しめる。梁には扉をスライドさせる溝が設けられ、日本の襖のように、ゆるやかに空間を仕切ることができる。

両国の間には食に関する対話も繰り広げられている。「メキシコには日本食、または日本から影響を受けたレストランがたくさんあります。日本にも、把握しているだけで1,500ものメキシコ料理店がありますが、料理人の多くは日本人です。例えばタコスのような人気の料理を伝統的な調理法で作る店もあれば、日本独自の解釈でメキシコ料理を出す店もあります」とプリーア大使。確かに、日本の食卓に並ぶものの中にもアボガドやカボチャ、アスパラガス、豚肉など、メキシコから輸入された食材が数多くある。「日本もメキシコも海産物に恵まれた国なので、両国ともに塩にはうるさい人が多いようです。メキシコ人の友人から、日本の特定に地域で取れる塩を買ってきて欲しいと頼まれたことがあります。我々はお互いの産品について好みがかなり洗練されてきたように思います」。

プリーア大使は、両国の関係がより深まり、コラボレーションが広がることに期待を寄せる。「長年にわたり日墨が協力しあってきた自動車産業だけでなく、航空宇宙やロボティクスやAIなどの新技術の分野でも、日本の研究所におけるメキシコ人科学者やエンジニアの存在感が増してきています」と大使は語る。また、社会問題に関しても協調できる点がいくつもあると言う。両国ともに沿岸部の自然災害の心配を抱えており、高齢化の点では日本がメキシコの先を行っている。「コミュニティがどう高齢者を支えているか、病院の高齢者病棟はどう運営されていて、どのような高齢者医療があるのかなど、日本人から学んでいます」。

医療分野では、メキシコは日本によるデング熱の研究にも注目しているという。「近年では、日本とメキシコは新型コロナ治療薬の効果、効率についての研究でも協力しあっています。こういった事例はあまり広く知られていないかもしれませんが、確実に増えています。この長い友好関係の歴史はこの先も深まっていくはずです」と大使は述べた。

大使公邸の内外には、様々な種類のサボテンが植えられている。

メルバ・プリーア駐日メキシコ大使

1958年メキシコシティに生まれる。社会学士と戦略的計画と公共政策、2つの修士号を持ち、大学院で国家安全保障と戦略的研究を学ぶ。国内外のメキシコ政府系機関でさまざまな役職を歴任。2007年から2015年にインドネシア、2015年から2018年にインドでメキシコ大使を務め、その後2019年より在日メキシコ大使。ほか、外交に関わる役職としては、1979年から1982年の在イスラエルメキシコ大使館政治部、領事部勤務、外務大臣顧問、2002年から2003年の対外関係省全国州政府連邦政府間連絡局長などがある。

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