January 26, 2024

文化財の宝庫、奈良・東大寺を訪ねる。

ライター:平塚桂

なぜ東大寺の大仏はつくられたのか。背景には国家との深いつながりがある。奈良時代、天然痘の流行や政争がつづく中で、聖武天皇は政治の基盤として仏教を採用し、741年に国ごとの官立寺院「国分寺」を建立する「国分寺建立の詔」を出した。東大寺はこの国分寺をまとめる総本山として建立された。万物の救済を願い、中心には高さ14.23mの大仏像がつくられた。大仏像は3年の鋳造作業などを経て完成し、さらに<大仏殿(金堂)>、<講堂>、<僧坊>、2つの七重塔などが建てられ、広大な伽藍となる。東大寺は学問の拠点でもあり、国分寺に属する僧侶たちがここで学んだとされる。

しかしその後の東大寺の歴史は災害と再建の繰り返しだった。1180年には戦火により大仏殿を含む伽藍の大部分が焼失し、このときは国家的な事業として直ちに復興された。1567年にも戦火に遭い、再び大仏殿と伽藍の多くが焼失した。政情が安定しない中で江戸時代まで再建が待たれ、大仏殿は1709年に縮小されながらも完成した。

国家の庇護下にあった東大寺だが、1868年の神仏分離令で明治政府が仏教と神道を分離し神道を重んじる方針を打ち出したことや、境内地以外の寺領が政府により没収されたことにより、危機に直面した。しかし拝観料を基盤とする寺社運営への改革や、文化財保護に関する法制度の整備などを背景に再興がはかられた。そして明治・昭和時代の<大仏殿>の大修理をはじめとする保存修理事業や、先駆的な防災対策が積み重ねられ、現在まで文化財の維持管理が徹底されている。34万㎡の広大な境内には、8件の国宝建造物を含む数々の文化財があり、近年は世界中から年間300万人を超える人々が訪れている。壮大な規模とタイムスケールで仏教の歴史や文化を現代に伝える寺院だ。

東大寺

1300年近くの歴史を持つ寺院。かつての日本の都(平城京)が置かれていた奈良にある。世界遺産に登録されており、2020年1月1日現在で所蔵する国宝は31件(うち建造物8件)、重要文化財は123件(うち建造物14件)にのぼる。1180年と1567年の2度の戦火で大仏殿をはじめ多くの建物が炎上し、そのたびに再建がなされてきた。奈良時代の遺構として<三月堂(法華堂)>や<転害門>、鎌倉時代の遺構では<南大門>や<鐘楼>が残るなど、34万㎡の境内に各時代の建物や美術工芸品が存在する。大仏殿は江戸時代の再建。明治大修理(1903〜13年)、昭和大修理(1973〜80年)が繰り返され、現在まで受け継がれている。


PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

大仏殿(金堂)
1709年

751年の竣工後、2度の兵火に遭い、現在の大仏殿は江戸時代中期の再建。幅57m、奥行き50.5m、高さ46.8mあり、現存する木造建築として世界最大級。創建当時は幅およそ86mとさらに大規模であったとされる。鎌倉時代の再建で採用された技法は「大仏様」と呼ばれ他の寺院建築にも影響を及ぼした。現存する<大仏殿>は創建時の様式と大仏様を折衷した様式で、正面中央の庇や天井などに江戸時代の建築技法も導入されている。国宝(1952年指定)。


盧舎那仏坐像(大仏) 
752年

万物を救済するとされる盧遮那仏をかたどった像。銅造で高さ14.23m。745年に制作が開始され、3年8度の鋳造と仕上げを経て、752年に仏像に魂を入れ込む儀式である開眼供養を迎える。2度の兵火で焼損し、修理されているため頭部は江戸時代、体部は大部分が鎌倉時代の補修だが、台座など一部に奈良時代のものも残る。国宝(1958年指定)。


二月堂
1669年

「お水取り」の名で親しまれる仏教行事・修二会が行われることからこの名で呼ばれる建物。奈良時代からある仏堂をもとに、修二会の行法にあわせて拡張が繰り返されたが、1667年にお水取りの失火で焼失し、その空間を継承しながら再建された。なお修二会は奈良時代から存続の危機を何度も乗り越え一度の中断もなく続くという。その伝統的な仏教儀礼と結びついた文化史的意義も深い建物だ。国宝(2005年指定)。


三月堂(法華堂) 
8世紀前半(正堂)、12世紀末〜13世紀(礼堂)

古文書の記録と部材の調査から733〜747年の間に建てられたと推測される、東大寺最古の建物。仏像を安置する「正堂」と、礼拝のための「礼堂」という、2つの建物を合体して1つの屋根の下におさめた「双堂」形式の建物だったが、後世に礼堂部分が別の形で再建された。正堂部分の建築年代は奈良時代、礼堂部分は鎌倉時代の建設と推定され、部材の先端の形状などにそれぞれの時代の手法があらわれている。国宝(1951年指定)。


南大門
1199年

境内南端にある門で、基壇上の高さは24.5m。奈良時代に建てられたが962年に台風で倒壊後、鎌倉時代に再建された。当時の革新的技法「大仏様」を採用した構造美が特徴。柱を貫通する水平材「貫」を多用して構造を固める、天井を張らずに構造材をそのまま見せるといった大仏様の技法が随所に見られる。また深い軒は六手先組物という6重の部材で支えられ、外観に整然とした緊張感を添える。門内左右には金剛力士立像が向かい合って立つ。国宝(1951年指定)。


金剛力士立像
1203年

高さ8.4m弱の巨大な木像。同時期に再建した南大門に納めるために、鎌倉時代を代表する仏師・運慶、快慶ら4人の仏師を中心として、わずか69日でつくられた。彫りが深く力強い吽形像と、流動的で華やかな阿形像の2体があり、それぞれ約3000個の部材を継いだ寄木造でつくられている。国宝(1952年指定)。

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