March 24, 2023
今年で「関東大震災」から100年。その過去から何を学ぶのか?
日本の近代史上、最も被害を出した地震は、1923年に発生した関東大震災である。死者・行方不明者は10万5,000名以上、焼失を含む全損家屋も30万戸に上り、電気・水道・道路・鉄道などのライフラインにも甚大な被害が発生、首都・東京や外国人も多く住む港町・横浜も壊滅的な被害を受けたため、社会的インパクトも大きく、想像を絶する災害であった。今年はその地震からちょうど100年目の年にあたる。
1923年9月1日、東京の天気は晴れ。まもなく正午になろうとする11時58分。神奈川県沖、相模湾北西部を震源とするM7.9と推定される地震が発生した。最悪だったのはこの地震が昼食時だったこと、また東京・神奈川などでは台風の影響による強風が吹いていたことだった。各家庭では、竈(かまど)や七輪を使い、昼食準備の最中だったが、強い揺れによりその火は燃え広がり、各所で同時多発的に火災が発生した。さらに、おりからの強風によって火は街全体へと燃え広がった。東京では地震発生直後に避難する時間が少しあったことも災いに転じた。人々が大八車に布団などの家財道具を各家庭から運び出しそれを持って避難したため、その荷物に火が延焼し大惨事を招いてしまったのだ。特に東京・本所の陸軍被服敞跡地(現在の東京都墨田区横網町公園周辺)には数万人の避難者が殺到し敷地はすし詰め状態となっていた。そこに火災旋風(火災が原因で起こる竜巻のようなもの)が発生、約4万人が犠牲となった。
関東南部、特に神奈川県西部や千葉県房総地域では、地震やその直後の大雨により、地すべりなどの土砂災害も発生、小田原市根府川では土石流により停車中の列車(現在の東海道線)が海中に押し流されるなどした。周辺では大規模な山崩れも発生、死者406名という被害を出した。また葉山・鎌倉から伊豆下田にかけての相模湾周辺や千葉・房総半島の南端などでは、最大高さ12m(熱海)、同9m(館山)の津波も発生した。
関東大震災をはじめとした巨大地震の経験から、この100年間、日本は大地震に備え、様々な対策を日々講じてきた。特に耐火・耐震に厳格な建築基準法を制定し、建物を不燃化・耐震化するとともに、道路の拡幅や木造密集地域の解消、緑地や空地の確保などを進め、防災的な都市計画を推し進めてきた。その努力もあり、現時点で仮に関東大震災クラスの地震が起こったとしてもそこまでの被害は及ばないとする意見もある。
そのようななか2022年、東京都は、東日本大震災を踏まえ策定した「首都直下地震等による東京の被害想定(2012年公表)」と「南海トラフ巨大地震等による東京の被害想定(2013年公表)」を10年ぶりに見直した。それによると、M7クラスの地震が冬の夕方(風速8m/s)で首都直下(都心南部)で発生したと仮定した場合、建物被害は19万4,431棟、死者は6,148人に及ぶと想定している。
巨大地震に備えてやっておくことは数多くある。例えば避難シミュレーション。勤務先や学校にいる時に地震に遭遇したら、どのルートを通って家まで戻るのか? 家族とはどこで落ち合うようにするのか? 連絡手段はどのようにするのか? 自宅に食糧品や水、電池、災害時でも対応可能な充電機器などを用意しておくことも重要だろう。近所に親しい友人・知人・家族がいたりするとさらに心強い。そうなると日頃からの隣人とのコミュニケーションも重要になる。
巨大地震から生き残るのは大前提としても、地震発生後は電気・ガス・水道といったライフラインが機能しなくなる可能性は高い。長いと数週間? いや、地震の規模にもよるが、復旧までに相当な時間がかかる。もしかしたら数か月に渡って、トイレも使えず、シャワーを浴びられない生活が続くかもしれない。そうなると今まで当たり前に過ごしていた生活は一変するだろう。日本のことわざに「備えあれば憂いなし」というものがある。前もって準備をしておけば、いざという時に何が起こっても心配は無用だという意味だ。100年前の「関東大震災」を教訓に、かつ想像力を働かせ、巨大地震に備えたい。