March 24, 2023

関東大震災のことがわかる、特別な施設。

ライター:中和田ミナミ

建築家・伊東忠太が設計した<東京都慰霊堂>の外観。入母屋造りの建物は日本風だが、その奥に見える三重塔は、インドや中国の影響が見て取れるデザインだ。

今から100年前に起きた関東大震災のことをよく知ることができる場所が東京・下町にある。それが相撲の聖地・国技館があることで知られる両国の、都立横網町公園である。この公園には、震災で亡くなった人たちの遺骨を納める<東京都慰霊堂>を中心に、震災に関する資料を展示する<東京都復興記念館>や、朝鮮人犠牲者の追悼碑、中国仏教界から贈られた梵鐘などのモニュメントが約20,000㎡の敷地に点在する。なぜこの公園に慰霊堂が建立されたかというと、ここで38,000人もの人が震災当日に亡くなっているからだ。

元々この土地には1886年頃から、陸軍被服敞(軍服の製造工場と保管庫を備えた軍施設)があったが、その施設が東京・赤羽に移転するため、震災発生の前年、1922年に逓信省・東京市に払い下げられていた。その広さ、約68,000㎡。関東大震災発生当時は造成中だったため、ここには広大は空地が広がっていた。そこに1923年9月1日、地震で発生した火災から逃れるため、多くの人々が陸軍被服敞跡に避難した。その数は4万人以上だったと言われている。昼時であったため食事の準備のため火を使っていたため火災が発生、また運の悪いことに、関東地方では台風の影響による強い南風が吹いていた。そのため特に下町では火が広がり、ある人は自ら、ある人は警察に誘導される形でこの公園に避難してきた。しかしこの敷地の周囲には防火林もなく、池など水も無かった。周辺から火が襲い掛かり、荷物や衣服に火が燃え広がり、高熱を伴う竜巻・火災旋風も発生。この公園に避難した人々の尊い命を奪ったのである。

復興記念館の外壁には怪獣(左)や慰霊堂内部の照明には謎の動物(右)など、建物には建築家・伊東忠太による妖怪・怪獣のディテールが施されている。
PHOTOS: KOUTAROU WASHIZAKI

祭壇に向かい列柱が整然と並び、キリスト教の教会のような雰囲気を感じる、慰霊堂の内部空間。

震災の翌年1924年、震災前から公園用地として確保されていたこの土地に、競技場ではなく、震災で犠牲になった人たちのための慰霊の施設をつくることが決まった。それにより、東京市は設計コンペを実施。一等案として、第一銀行建築技師、前田健二郎の案が選ばれた。しかし実施設計の段階になりそのデザインが日本的でないという理由で、仏教関係者や地元からも反対意見が起こる。その結果、東京市は設計案を白紙に戻すことにし、1927年、審査員も務めた建築家、伊東忠太に慰霊堂の設計を依頼することになった。

ここで設計者、伊東忠太(1867年~1954年)について触れておこう。伊東は明治期から昭和の戦前期に活躍した建築家・建築史家である。日本の近代建築史にとっては欠かすことのできない重要な人物のひとりで、当時日本の建築家が西洋の建築を学ぶため欧米に留学する時代に、日本建築のルーツを探るため、中国、インドからトルコなどアジア地域を旅した。その経験から、西洋建築学を基礎にしながらも、日本建築を本格的に見直し、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示すなどした。建築家としては<東京都慰霊堂>の他、ホテルオークラ東京の横に建つ日本初の私立美術館として知られる<大倉集古館>(1927年)や、古代インドの様式をモチーフにしたような<築地本願寺>(1934年竣工)などを設計している。日本の古建築にとどまらない独自のデザインや、建物の随所に奇怪な怪獣・妖怪のモチーフを取り入れるなど、オリジナリティ溢れる建築を数多く生み出した人物なのである。

横網町公園内にある、建築家・伊東忠太設計の<東京都復興記念館>。

復興記念館には、関東大震災(1923年)と東京大空襲(1941年)に関する写真や資料が展示されている。

<東京都慰霊堂>は伊東忠太の手により、震災から7年経った1930年9月に落成された。建物を正面にみると、入母屋造りの本堂があり、その奥に遺骨を納める三重塔が建つ。本堂は日本風だが、三重塔はインドや中国の影響が見て取れる。さらに平面図に目を向ければバシリカ式聖堂のような十字架型をしているし、内部空間の壁や天井、扉を見てみると、アラベスク模様のようなデザインも施されている。死者の霊を祀り、慰霊のための式典を行う場所でもあるこの建物は、世界各所の宗教建築の要素がちりばめられ、荘厳な雰囲気を醸し出している。 

翌年1931年には展示施設である<東京都復興記念館>も同じく伊東忠太の設計により開館した。ここには関東大震災の発生から復興にいたるまでの様々な写真や絵画、実物資料などを展示している。今年は関東大震災発生から100年という節目の年だ。改めてこの公園を訪れ1世紀前に起きた出来事を学び、次なる大災害に備え防災意識を高めたい。

慰霊堂内部に展示された絵画。震災当日、実際に発生した竜巻“火炎旋風”の様子が描かれている。

復興記念館に展示されている、火災で溶けたガラス瓶。

都立横網町公園

1930年に開園した慰霊のための公園。<東京都慰霊堂>(1930年竣工)と<東京都復興記念館>(1931年竣工)は共に、建築家・伊東忠太の設計。慰霊堂には関東大震災の犠牲者の遺骨58,000体が祀られ、戦後になって1941年3月10日の東京大空襲の犠牲者の遺骨105,000体も合祀された。 復興記念館でも震災資料の他、戦災(東京大空襲)に関する資料も展示されている。●東京都墨田区横網2-3-25 慰霊堂は年末年始を除き9時~16時30分。復興記念館は9時~17時まで(最終入場は16時30分まで)。月曜休館(月曜が祝日の場合は火曜休)。共に入場無料。

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