December 02, 2022
【慶應義塾大学】世界の若者を受け入れ、社会の先導者をつくる
日本経済が少子高齢化や長引く景気低迷に直面するなかで、社会の未来のために慶應義塾大学が取り組むべき課題は、学生が自発的に学ぶために最適な環境づくりを進め、世界中から留学生を受け入れることだと塾長の伊藤公平は話す。
「失われた30年間の日本において慶應義塾が何をしてきたのか。そしてこれからこの状況を少しでも好転させるために慶應義塾は何をするべきなのか。それを考えることが、これから取り組んでいかなければいけない課題だと思っています」
昨年5月に塾長に就任した伊藤は続けて言う。「日本経済がこのように苦しんでいるなかで、どのように今後の社会をつくっていくべきかを考えると、やはり世界から若者を可能な限り受け入れていかなければいけないという結論になる。それを我々は今までやってきたか、それができる魅力的な環境をつくってきたかについて、これからもっと考えていかなければいけない」
しかし、世界のトップ100大学ランキングを目指すことや研究活動のみに焦点をあてることは建学の精神に反することだと伊藤は言う。慶應義塾の創立の目的は、全社会を先導するリーダーを育成することだからだ。
伊藤が慶應義塾の使命について語る時、必ず思い浮かぶのは創立者である福澤諭吉の「全社会の先導者」を育てるという言葉だ。福澤は「慶應義塾の目的」として「我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、窮行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」と述べている。つまり、国家建設の本来の目的を明らかにし、それを口にするだけではなく実践することにより、社会全体の先導者になることを目指して欲しいという主旨だ。
「世界に貢献するということは、ただ研究活動だけを求められているわけではないんですよね。どのように人を育て、どのように皆が学んで育っていく環境をつくっていくかということなのだと思います」と伊藤は話す。
慶應義塾の創立者である福澤は、教育者であり思想家であった。1872年に「学問のすゝめ」の初編が刊行されているが、その著書の中で述べた「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」という言葉は当時の日本人に多大な影響を与え、当時およそ340万部のベストセラーとなった。
当時の日本は、徳川幕府のもと鎖国政策を続けた後、明治維新により開国したばかりの時代であり、福澤が紹介する西洋思想は封建社会を生きてきた人々に衝撃を与えた。「学問のすゝめ」の中で福澤は、人は生まれながらに平等であるが、賢人と愚人を分けるのは「学ぶ」か「学ばない」かであると記している。そして、私達は良い家庭、良い生活のみに満足をせず、常に社会をよくする努力をする必要があり、そのためには学び続けることが必要だと述べている。開国後に資本主義国家としての歩みを進めた日本は、近代国家としての第一歩を踏み出したものの、一部の特権階級によって国政は支配されていた。1858年に25歳で慶應義塾を創立した福澤は、より良い国をつくるために自ら学び社会を先導するリーダーの輩出を目指した。
経済学者で1933年から1947年に塾長を務めた小泉信三によると、慶應義塾を創立した後の福澤の活動は3つのステージに分けられる。世界の状況や洋学を紹介したステージ1。国民の鼓舞に務めた「掃除破壊」のステージ2。民主的な国の発展について提言をした「建置経営」のステージ3である。
ステージ1では、福澤は1860年の渡米、1862年の渡欧で得た知識を1866年に刊行した「西洋事情」で紹介している。ステージ2では、1872年に刊行した「学問のすゝめ」を初めとした著書において、政府の言いなりにならないために平民が自ら学ぶことを説いた。当時の日本は一部の華族や士族出身者に支配されており、国全体の人口約3300万人のうち華族や士族の人口は5.6%ほどだった。
「国民の約93%を占める平民がしっかりと学問を学び、ただ単に政府にへつらうのではなく対等な立場で、国民と政府が契約を結ぶ形で、税金を払い、政府にものを申す。そのために皆が学問をしないといけないと福澤は説いたのです」と伊藤は話し、それは民主主義の原点を示したことになったと述べた。
最後のステージ3で福澤沢は、二大政党に基づいた政党内閣制を提言した「国会論」を出版し、その他にも、現代につながる象徴天皇制や男女平等についての著書を残している。
当時は日本が開国されたことにより西洋文明が紹介されたが、現代社会では情報化が凄まじい速さで進展し、さらに情報によって人々が支配されかねない状況にある。
「あらゆる判断を自分が下していると思っても、実はテクノロジーによって自分の心地よい情報だけを見ていく傾向が、今強くなっている」と伊藤は言う。問題なのは、情報に影響を受けているという点に関して、境界線が見えづらくなっていることであり、それは民主主義に関わる投票行動においても、生命科学におけるゲノム操作においても言えることだと伊藤は話す。
塾長に就任して以降、伊藤は世界各地の大学学長と会合を持ち、交換留学提携校を増やしている。そして慶應義塾大学だけではなく小学校から高校も含めた慶應義塾全体の魅力を高めることを目指している。「小学校から大学までを含めた全体を発展させる責任がある」と伊藤は話す。
社会に先導者を輩出することが慶應義塾の存在意義であり、文系学部の規模を縮小して自然科学分野を拡大させることであり、世界トップ100の地位を獲得することが最終目標ではないと伊藤は語る。現在、慶應義塾大学の7割は文系学部で構成されており、3割を理系学部が占めている。
そうは言うものの、慶應義塾の強みは医学部を擁することであり、生命科学分野の競争力は高い。慶應義塾の「ヒト生物学-微生物叢-量子計算研究センター(Bio2Q)」は10月、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)に選ばれた。このプログラムは、2007年から文部科学省の事業として開始されたもので、Bio2Qは医学部の本田賢也教授が中心となり、体内のマイクロバイオームや多臓器解析について人工知能や量子コンピューターを組み合わせたデータ解析により生命科学の研究を進めている。今回、私学で初めての選出となった。
慶應義塾は、大学での研究技術に基づいたビジネスを追求するスタートアップ企業も支援している。2015年に、慶應イノベーションイニシアティブ(KII)というベンチャーキャピタルを立ち上げ、将来有望な企業に投資をしている。