November 24, 2023

建築文化の継承を”住宅保存”を通じて考える。

ライター:馬場未織

エントランスから下階ホールを見る。傾斜した土地に合わせて部屋が下方に連なる。
PHOTOS: TAKAO OHTA

俳優の鈴木京香が建築家・吉阪隆正が設計した名作住宅<ヴィラ・クゥクゥ>(1957年竣工)を購入したことが昨年2022年、大きな話題を呼んだ。取壊しの危機にあったこの住宅を訪れた時、「残さなければいけない」と心に決めたという彼女は、自らが家の管理人となり一般公開に向けて美しく復元した。この功績により2023年「日本建築学会文化賞」を受賞。これほど注目されるのは、家はすぐ壊されてしまうのが日本の住宅事情の特徴だからだ。滅失住宅の築後年数の国際比較(国土交通省2019年)を見てみると日本の住宅の利用期間は約32.1年(2008年~2013年平均)で、アメリカの66.6年(2009年)やイギリスの80.6年(2007年)に比べて圧倒的に短い。様々な新築住宅優遇制度に支えられた日本人の持ち家志向は、戦後から大きく変化していない。

そもそも日本には、中古住宅を残しにくい事情がいくつかある。そのひとつが相続税制度だ。相続が発生した場合、地価が高い都市部では、高額な相続税の支払いのために自宅を売る必要が生じる。また複数の相続人がいる場合は遺産を分割しなければならず、最大の財産が不動産である場合、やはり自宅を売却してお金に換えることになる。その際、上物である住宅が取り壊されてしまうのだ。

日本の不動産市場も中古住宅には冷たいことも指摘したい。木造住宅の場合は20年、鉄筋コンクリート造では47年で減価償却となり、市場価値がゼロとなる。そもそもこの指標は固定資産税算出のためにあるものだが、市場価値もそれに倣って、まだ使える住宅であっても資産価値がゼロとみなされてしまう。また、売る側にとっては、更地になった土地を小さく分割して売る方が早く買い手が見つかり、まとまった土地を一括して販売するより高値で売れるという背景もある。買い手としても、仮に中古住宅に住みたいと思っても購入時に住宅ローンが組みにくいという難点もある。

ホールは設計者・原広司の代表作であるJR京都駅を彷彿とさせる空間。天井のトップライトから住宅内部のドーム型のトップライトを通して各居室に光を配る仕組み。

粟津潔邸
1972年竣工

設計:原広司
所在地:神奈川県川崎市
敷地面積:602㎡
延床面積:256㎡
構造:RC3階建て

グラフィック・デザインの草分け的存在で現代のクリエイターにも影響を与える粟津潔(1929-2009)の住宅兼アトリエ。ここには70年代から様々な分野のアーティストや文化人が集った。住宅の設計は<JR京都駅>(1997年竣工)、<梅田スカイビル>(1993年竣工)などで知られる建築家の原広司が手掛けた。この<粟津潔邸>は、原が世界の集落を調査しながら手掛けた作品群<反射性住居>の原型でもあることから、文化的な価値も高い。

文化財に指定される住宅建築でさえ、日本では安心できない。国の重要文化財や指定文化財は相続税・贈与税が7割控除、登録有形文化財は3割控除と国では定められているが、市町村指定の文化財については控除割合が明確に定まっておらず、経済的な公的サポートが貧弱な場合が多い。

こうした諸問題が解決されないまま名作住宅が次々と姿を消していくのは看過できないと、2013年に一般社団法人<住宅遺産トラスト>は発足した。文化的、歴史的に価値のある住宅やその環境を“住宅遺産”と称し、新たな住まい手に継承するために活動する。先に述べた吉阪隆正設計の<ヴィラ・クゥクゥ>の継承も彼らの功績のひとつだ。発足から10年に渡る活動の中で一般の市民にも名作住宅に関する価値が浸透し、行政の対応も少しずつ変化してきたという。理事の木下壽子は“時間をかけて丁寧に保存に取り組むこと”の意義を強調する。「住宅保存問題に対し、短期間で結果を出すビジネスマインドでは経済合理性が優先されてしまい、解決にはつながりません。私たちは非営利で活動するからこそ、利益追求優先ではない視座に立つことができます」。

“住宅を残したい”と願う所有者が、適切な相談相手を見つけるのは容易ではない。宅建業者や税理士は建築の知識や文化財に対する理解が乏しい傾向にあり、逆に建築の専門家は建築的な価値ばかりに着目しがちで、不動産や相続の問題に目を向けようとしないからだ。<住宅遺産トラスト>は宅建業者でも建築家でもない立場で「本当にこれを壊してしまうの?」というごく普通の感覚を保ちつつ、時間をかけて関係者や社会に対し、文化的な価値を醸成・浸透させ最適解を導き出す。

最下階のアトリエから最上階まで伸びる階段を見る。粟津潔が多くの作品を生み出したアトリエは3層吹き抜けの空間で、三連窓を通じて子供部屋ともつながる。この住宅は外部には閉ざされているが内部は開放的なつくりになっている。階段を中心軸にしてほぼ左右対称の設計で、階段の右側にも写真と同じボリュームの空間が配される。広い廊下の奥には唯一の和室がある。

住宅保存の難しさを熟知する木下は「名作住宅は賃貸にした方が残しやすい」と提言する。賃料で修繕費も捻出でき、収益還元評価により不動産価格が高まる可能性があるからだ。借り手が増えれば投資する人も出てくるだろう。「客観的に中古住宅が評価されるためにインスペクション(住宅診断)を取り入れれば、市場価値も担保されます。環境問題や人口減に直面する今、つくっては壊して大量の廃棄物を出す新築至上主義は時代にそぐわない。日本人も新築志向一辺倒ではなく、築100年のビンテージハウスに暮らすセンスを身につける時代だと思います」と言う。

最後に紹介したいのが、神奈川県川崎市の住宅地に建つ<粟津潔邸>(1972年竣工)だ。高度成長期の日本のデザインを牽引したグラフィック・デザイナー粟津潔の住宅兼アトリエとして、JR京都駅などで知られる建築家・原広司により設計されたものだ。この家を引き継いだ息子の粟津ケン氏は<住宅遺産トラスト>に相談し、かつて父が作品制作に勤しみ様々なアーティストたちと交流した空間をできる限り当時の状態に戻し、今年2023年秋、アートスペースとして一般公開した。私たちは今、かつての住み手であった粟津潔とその家族と同様に、リビングのトップライトを見上げ、時を重ねた建築空間を体験することができる。事務局長の吉見千晶は言う。「粟津ケンさんや鈴木京香さんに共通するのは、住宅を個人で“所有する”のではなく “預かる”マインドがあること。つまり住宅は、社会みんなの共有財産、文化的な社会資本という発想です。預かる方々が家を社会に開いてくださることで、多くの人々が名作住宅の魅力に触れて新しい価値観が生まれます。エンドユーザーの考え方が変化すれば市場や制度も追って変化し、良い循環が生まれるのではないでしょうか」。

外観。将来的に都市が過密化することを予見し、外部に対して閉鎖的に設計されている。

一般社団法人<住宅遺産トラスト>

2013年設立。相続や老朽化によって消失の危機に瀕する貴重な住宅建築を、新たな住まい手に継承するため、所有者に寄り添い、専門家ネットワークと協力して相続や耐震改修、活用方法の提案などの支援を行う。吉村順三設計の<旧・園田高弘邸>(1955年竣工)、建築家・土浦亀城の自邸(1935年竣工)など数々の名作住宅継承に貢献し、その活動が評価され、2022年、「日本建築学会賞(業績賞)」を受賞した。事務局長を務める吉見千晶(右)は3児の子育てを経た主婦目線を持つ。理事の木下壽子(左)は首都圏で賃貸住宅を企画、管理運営する有限会社コミュニティ・ハウジング代表を務める。
https://hhtrust.jp/

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