December 22, 2023
2023年に125周年を迎えた、日本とアルゼンチンの友好関係。
日本から見てほぼ裏側に位置するアルゼンチン。その距離を越えた友好関係は今年2023年、125周年を迎えた。2023年10月、エドゥアルド・テンポーネは駐日アルゼンチン大使に着任。これまで仕事で日本を訪れたことは数回あるものの、日本に住むのは今回が初めてだそうだ。そんな着任間もないテンポーネ大使に、お気に入りの日本の贈り物、両国の関係とこれからの展望について話を伺った。
外交的な経験や異文化に対する深い理解を持つ各国の大使が選ぶ日本独特の贈り物には、日本人には見慣れているものでも、新しい発見がある。大使は着物など日本の伝統を感じられるものが好きだそうだが、なかでも書道の作品が大好きだと話す。
書道は、文字を美しく描くことを追求する芸術だ。中国の漢字文化を日本に伝えた仏教僧侶が、経典の書写を行う際に美意識を追求することから始まった。細かい線や点、濃淡の微妙な変化を工夫しながら、美しさを引き立てていく書道には日本の美意識が込められている。「日本でレストランなどに行くとよく額装された書道の作品を見かけます。習字で書かれた漢字2文字の作品などをよく目にしますが、私はそれらが大好きです」と大使は語る。
「スパークリングの日本酒にも驚きました。そのような日本酒があることを知らなかったのですが、飲んでみたらとても美味しい。シャンパンに味が似ていました。母国の友達へのお土産には日本のウィスキーを買いたいと思っています」。日本のウィスキーづくりの歴史は100年とまだ浅いものの独自の進化と発展を遂げ、今世界から賞賛されている。日本の穏やかな気候風土、有機物の少ない水などにより、繊細でバランスが良い日本のウィスキーを造ることができると言われている。「日本のウィスキーは世界でも今話題なんですよ。アルゼンチンだけじゃなく、NYなどでも人気でね。だから友達にはウィスキーをお土産に選ぶかな」と大使は話した。
大使は、日本駐在中にさまざまな日本国内の地域を訪れたいと話す。その中でも特に沖縄への訪問を楽しみにしている。沖縄は、アルゼンチンと歴史的な繋がりがあり、大使にとって沖縄は単なる旅行先以上の存在だそうだ。というのも、アルゼンチンには推定3万人の日系人が暮らしていて、そのうち約70%が沖縄出身者だからだ。日系3世や4世が大半を占めるこの日系人コミュニティの背後には、沖縄の文化・歴史が存在する。
最近、週末の短い時間を使って京都へ行き、京都御所、歴史ある寺院を訪れたという大使。京都を訪れた際に泊まった旅館の部屋に入った瞬間、大使はある映画の記憶がよみがえったそうだ。それは、小津安二郎監督の『東京物語』。「1950年代の日本映画を思い出しました。監督がカメラを低い位置に置き、低い視点から現実の世界を静かに捉えていた。京都で宿泊した旅館では、畳の上に座ったり、畳の上に布団を敷いて寝たり、全てが低い位置に配置されている。まるで自分が昔観たモノクロの日本映画の世界の中にいるような感覚になりました」。大使が初めて日本の映画を見たのは1960年代で、アルゼンチンのテレビで放映されていたそうだ。当時、静止画のようにカメラを低く置いて撮影する小津監督のカメラワークにとても興味をそそられたと語る。
大使の日本文化に対する理解と興味は、長年にわたる両国の関係からも大きな影響も受けているだろう。「1898年2月3日にワシントンD.C.で初めて結ばれた友好条約以来、両国は素晴らしい関係を築き上げています」と大使は語る。長い年月を通じて、遠く離れた両国は政治、経済、文化など多岐にわたる分野で交流を深めてきた。大使公邸内には、両国の歴史の深いつながりを語りかけるかのように戦艦「三笠」の木材で作られたテーブルと、その上に戦艦のミニチュアモデルが置かれていた。日露戦争の前年、アルゼンチンは当時イタリアに発注していた最新鋭の装甲巡洋艦2隻を日本へ売却することを提案し、日本は迅速に交渉を進め合意に達した。これらの2隻の艦船は、日露戦争が勃発したわずか6日後の1904年2月16日に横須賀に到着。船はそれぞれ「日進」「春日」と名付けられ、旗艦「三笠」の指揮下で活躍し、日本海海戦で戦功をあげた。
両国の文化面での交流も盛んだ。「たくさんの人々がアルゼンチンと日本の間を行き来しています。アーティスト、ダンサー、ミュージシャンなど、多くの文化人がアルゼンチンから日本を訪れてパフォーマンスを披露しています」と大使は語った。特に2023年は、友好関係125周年を記念してアルゼンチン大使館ではたくさんのイベントが行われ、両国の豊かな文化交流を示した。たとえば、アルゼンチンの芸術家がアルゼンチンの要素を取り入れた着物を作り、またアルゼンチンのポンチョと日本の着物を融合させたものをデザインしたという。アルゼンチンのタンゴダンサーが日本のタンゴダンサーと共演するような交流や、「ケーナ」と呼ばれるアルゼンチンの伝統楽器で日本の曲を演奏するミュージシャンもいた。
日本の文化がアルゼンチンにも大きな影響を与えていると大使は話す。「映画や文学など、日本からの影響を受けた作品がたくさんありますが、特に漫画やアニメの影響は非常に大きいです」。その影響で、アルゼンチンの人々は日本語を学ぶことに興味を持つようになり、両国間の文化的結びつきをさらに深めることとなった。
経済面では、アルゼンチンにおける日本企業の役割も大きいと大使は述べた。「トヨタ、日産、ホンダ、丸紅をはじめとする日本企業は、アルゼンチンにおいて重要な役割を果たしています。彼らはアルゼンチンで雇用を創出し、経済活動を活性化させている。これからもこの関係を深めたい」。
長い友好関係の中で築き上げてきた両国の外交関係はさらに深まりを見せていく。大使は、貿易関係や投資関係を拡大し、エネルギー転換や食料安全保障の面で日本と提携することを今後の目標のひとつに掲げている。特に、日本市場におけるアルゼンチンビーフの全面的解放に焦点を置く。アルゼンチンビーフは、口蹄疫の問題で、日本には長らく生の牛肉は輸出できていなかったが、パタゴニア地方の牛肉は安全だと判断され、2018年には日本への輸出が解禁された。また、持続可能性へのコミットメントの一環として、エネルギーや水素を含むさまざまな分野におけるエネルギー転換にも注力している。アルゼンチンは天然資源があるが、投資と技術が必要だと大使は述べた。
テンポーネ大使は、日本の技術力と革新性を高く評価しており、日本との提携の重要性を強調した。日本が特に技術分野でリーダーであること、そしてその専門知識がアルゼンチンのさまざまな取り組みに貢献できる可能性がある。地理的には遠く離れている両国だが、長年にわたって築かれた友好関係は、今後もさまざまな分野でさらに発展していくだろう。
エドゥアルド・テンポーネは駐日アルゼンチン大使
コルドバ国立大学、コルドバ・カトリック大学にて国際関係学を修め、アメリカン大学(ワシントンD .C.)にて、国際関係学の修士号を取得。キャリア外交官として1986年にアルゼンチン外務・通商・宗務省へ入省。在外外交に任務として、在パラグアイ共和国、その後財ジュネーブ国際機関アルゼンチン政府代表部を経て、在米国アルゼンチン共和国大使館へ赴任。2020年以来、アメリカ合衆国のアルゼンチン共和国大使館を拠点とするG20アルゼンチン代理代表を務めた。2023年より駐日大使を務める。