January 20, 2023

【キッコーマン】アメリカの食卓に醤油文化をつくり市場開拓

Kikkoman Corp.’s director and senior executive corporate officer, Osamu Mogi | Hiromichi Matono

アメリカで現在のような和食が人気になるかなり以前から、アメリカのスーパーマーケットでは醤油を見かけるようになった。そのような光景は、キッコーマンが毎年のように何百ものレシピをアメリカの食卓向けに開発し続けてきたからかもしれない。

「今でもアメリカで、消費者向けだけでなくシェフ向けにも年間200個はレシピの提案をしている」とキッコーマン取締役専務執行役員の茂木修は話す。

例えばインスタグラムや他のSNSを覗いてみると、キッコーマンのアメリカ向けアカウントには、醤油だれに漬けた感謝祭用の七面鳥ローストから、醤油の隠し味をつかったチョコレートブラウニーや醤油バター味のポップコーンまで様々なレシピが並んでいる。

このように常に現地のマーケットのニーズに応えてきたことが、キッコーマンが350年間、事業を継続させた秘訣なのかもしれない。

キッコーマンは、日系人や米国駐在の日本人向けに、戦前からすでにアメリカへの醤油の輸出を開始していた。戦後になってから海外への輸出を再開したのは、国内経済が回復を遂げても調味料の消費が大幅に増加するわけではなく、国内市場に留まると売上が限られてしまうことを予見したからである。

Hiromichi Matono

事業拡大のためにキッコーマンは2つの戦略をとった。事業の多角化と国際化である。多角化については、戦後の食の西洋化に応じて、1960年代には野菜と果実の加工品メーカー「デルモンテ」と提携し、1990年にはアジア・オセアニア地域における商標使用権・販売権を獲得した。一方で国内産ぶどうを使ったワイン製造にも乗り出し、「マンズワイン」ブランドを立ち上げた。国際化については、戦後一斉に来日した多数のジャーナリスト、教育関係者などの反応から醤油の品質に自信を深め、海外市場に進出した。

「それがアメリカ市場に進出した理由です。私達はアメリカの日常の食卓で醤油を使ってもらえるようなアプローチをとりました。和食向けだけに商品を売っても市場は拡大しないからです」と茂木は話す。

このようにして、キッコーマンは1957年にアメリカに販売会社を開設し、1973年には海外最初の工場からしょうゆの出荷を始めた。

キッコーマンが市場開拓のために最初に行ったのは、スーパーマーケットでのデモンストレーションだった。これは現在でも食品販売のための効果的な方法だと考えられているが、販売員がスライスした肉に醤油をつけて顧客の目の前で焼いて見せ、それを配ることで肉用の新しい調味料として買ってもらう。しかし、買物客に試しに一瓶買ってもらうだけではだめだと考えたと茂木は言う。大切なことは、醤油を味見して美味しいと感じてもらい、一瓶を最後まで使い切ってもらい、もう一瓶買いたいと思ってもらうことなのだという。

「そういうやり方をとると時間はかかるが、美味しいと実感してもらうのでリピート率が上がり、一度つかんだ顧客はロイヤルユーザーになる」と茂木は話す。「買ってもらった最初のきっかけをどう二回目の購買につなげていくか。その工夫がキッコーマンのマーケティングの一番の肝になっている」

しかしアメリカ市場へ本格進出してから工場建設までは思うように利益が出なかったという。長い先行投資の期間を、キッコーマンはなぜ乗り越えることができたのだろうか。理由の一つは、醤油を味わったことのない人々に味わってほしいという「ロマン」。そして、もう一つの理由は商品に対する「自信」だと茂木は話す。

元々キッコーマンの起源は、1600年代に現在の千葉県野田市で事業を始めた醤油醸造家だ。1917年、茂木家を含む同じ地域の8つの醸造家が統合して野田醤油を設立した。ちょうど日本の産業が近代化され始めた頃だった。これが後にキッコーマンになった。ブランドである「キッコ―(亀甲)」は亀の甲羅を意味し、「マン(萬)」は数字の10,000を指す。つまり一万年生きると言われ縁起の良い亀がブランドの由来となった。

Hiromichi Matono

茂木によると、1925年にはすでにキッコーマン(当時の野田醤油)は社会の利害を自分たちの利害だと思って事業運営をするようにという訓示を社員に授けていたという。さらにキッコーマンの元となった創業家はそれぞれに家憲があり、「企業としての使命は単に金儲けではなく、社会に意味のある事をすべき」という教えがあった。

「今、企業に求められている姿を考えても、十分通用する内容を何百年も前から謳っていた」と茂木は言う。「地域・社会と共存するという思想がバックボーンとしてあったことが、これだけ長く会社が続いてきたことにもつながると思う。」それが「地球社会にとって存在意義のある企業をめざす」という現在の経営理念にもつながっていると茂木は話す。

世界の人口動態が変化し、新しい世代が台頭している現在、海外市場に進出しやすくなっているのではないかと茂木は言う。伝統的な食文化が徐々に変化しているヨーロッパでは、キッコーマンは四半世紀以上平均で2桁の成長を遂げている。例えばフランスでは、若者の親の世代では必ず食後にワインとチーズを楽しむ習慣があったが、若者の世代ではそのような習慣は薄れているという。習慣の変化をチャンスととらえ、ヨーロッパでのマーケティングでは、各国市場に合ったレシピとヨーロッパ全体に向けたレシピの二本立てで市場開拓をしている。

将来的には、キッコーマンは南米、インド、アフリカなどの新市場を開拓していきたいと考えていると茂木は言う。一方で、市場における消費者マインドの変化には気をつけないといけないという。特にジェネレーションZやミレニアム世代と呼ばれる若者達が社会で存在感を高めているからだ。

「社会的課題に取り組んでいる企業かどうかが、彼らが企業を評価する物差しになっているし、積極的にやっていかないとブランド自体が陳腐化するというリスクを感じている」と茂木は話す。「将来に向けての投資だという意識で社会に対するインパクトがあることをやっていく。それが今後企業としてやらなければいけないことだと考えているし、やらないことが逆にリスクになると感じている」


Naonori Kimura
Industrial Growth Platform Inc. (IGPI) Partner

ロマンと信念がサステナブルな事業を作る

キッコーマンの起源は、350年前から始まった醬油の醸造だ。その後1917年に野田を中心とした醸造家8家が合同し、現在のキッコーマンの礎を築いた。その狙いは、合同することでより一層価値を高め、社会と共存し続ける企業体を目指していくとのこと、まさにサステナブル経営の原点である。戦前から在外の日本人向けに醤油の輸出等を行っていたが、戦後に入り長期的な時間軸での国内市場の成長鈍化を見込み、本格的に海外進出を行った。最大マーケットである米国においては、醤油が活きるレシピを開発しつつ長い時間をかけて顧客に寄り添いながら、まさに文化を創り上げたのが成功の要因だ。進出から16年ほどは収益的には苦戦したようだが、それでも諦めずにやり続けた推進力は、経営者の「ロマンと信念」と力強く茂木氏は語る。この企業文化は全社員に共有されており、企業活動の隅々にまで行きわたっているようだ。今後10年先を見据え、「世界中の人に醤油を届けたい」というビジョンのもと、南米やインド、アフリカ等への事業展開も視野に入れている。

まだまだ未成熟な市場ではあるが、それでもなお挑戦させる意欲をかきたてるものは、言うまでもなく「ロマンと信念」だ。食という人々の暮らしに密着した事業であるからこそ、今後の消費者のマインドの変化を適切に捉え、社会課題解決型の企業としてサステナブルな成長を目指している。その先に見えるのは、これからの350年だ。

Subscribe to our newsletter

You can unsubscribe at any time.

PREMIUM MEMBERSHIPS

1-month plan or Annual plan 20% off!

Premium membership allows members to Advance registration for seminars and events.
And Unlimited access to Japanese versions of articles.

CHOOSE YOUR PLAN

Subscribe to our newsletter