April 21, 2022
【木村 武】グローバルなルール作りに上流工程から関与を。ステークホルダー資本主義へ一気に前進も
欧州で先行したESG(環境・社会・企業統治)投資への取り組みは、急速に世界に浸透している。日本でも大手を中心に企業の多くが持続可能な社会の実現にコミットしているが、課題の1つはそうした企業の傘下にある年金基金にESG視点での運用を促すことだ。2021年7月に保険会社から世界で初めて国連責任投資原則(PRI)の理事に就任した木村武氏は「企業年金システムをうまく活性化すれば『ステークホルダー資本主義』へのパラダイムシフトを促進できる。そのための仕組み作りにオールジャパンで取り組むことが重要だ。日本の伸びしろは大きい」と期待する。
PRIはESG投資の世界的な普及を目指して06年に設立された。日本銀行の前決済機構局長で現在は日本生命保険相互会社で執行役員を務める木村氏は「2018年以降、PRI署名機関数は毎年約25%ずつ増えている。機関投資家のESGへの関心は高い」と話す。ただし、20年時点での資産運用残高に占めるESG投資の割合をみると、日本は24%と世界全体の35.9%を下回り、「裾野の広がりという点で、欧米に比べ見劣りする」(木村氏)。PRI署名機関数も現在全体で約5000のうち日本は約100機関と、米国の約1000、英国(アイルランドを含む)の約800に遠く及ばない。
理由の1つは企業年金基金の不在で、PRIに署名した日本の企業年金はわずか3機関にとどまる。木村氏は「ESG課題への取り組みが長期的な企業価値や投資リターン改善につながるという近年のトレンドを踏まえれば、日本のESG投資家層の薄さは、日本の経済や金融市場の競争力を左右し得る重要な問題だ」と危惧する。
PRIでは、署名機関がテーマ別に約25の委員会(Advisory committees and working groups)に分かれ、責任投資の取組事例を持ち寄って議論する。最終的にガイドラインを公表し、ベストプラクティスの普及促進を図るとともに、法制面での環境整備について各国の規制当局に働きかけをする。署名機関が少ない日本の投資家は日本独自の課題や立場をガイドラインに反映させることが難しく、数で勝る欧州や米国の意見がベストプラクティスを形成していく。その意味では、日本企業は国際的ルール作りに参画する機会を自ら手放している部分も否定できないという。
「日本の責任投資をガラパゴス化させないためにも、グローバルなベストプラクティス形成に上流工程から関わることが重要だ。ESG投資に関わる一連の動きは、途中から参加しても手遅れになりかねない」と木村氏は強調する。
日本生命保険は21年10月、50年までに資産運用ポートフォリオにおける温室効果ガス排出量のネットゼロを目指す機関投資家の国際的イニシアティブ「ネットゼロ・アセットオーナー・アライアンス(NZAOA)」に加盟した。木村氏によると、日本の生命保険会社の加盟は合計4社となり、これら加盟機関の総資産運用残高に占めるシェアは20%近くに拡大した。NZAOAでは加盟機関が目的を共有し、投資先企業への働きかけを通して地球規模の課題解決で協働する。
「資金のボリューム面で有利な位置につけたことで、日本として情報発信がしやすくなる。どういう働きかけを行っていくか、その検討が次の重要なステップだ」と木村氏はいう。日銀時代にデジタル通貨の標準化に携わった経験から、自国の取り組みを世界標準につなげるためには国際標準化機構(ISO)の議論に積極的に参加するのと同時に、「企業と監督官庁、日本銀行などが一体となってリソースを注ぐ必要がある」と考える。
日本でESG投資の裾野を広げるために、大手企業が傘下の企業年金の「ESGインテグレーション」を支援することにも期待する。企業年金基金は受益者のサステナビリティに対する選好を盛り込んだ運用指針をアセットマネージャー(資産運用業者)に示すことで、アセットマネージャーのスチュワードシップ活動を通して投資先の企業価値の向上に寄与し、結果として受益者である企業の従業員の最善利益の改善に資することが可能になる。
木村氏によると、投資資金の流れ(インベストメント・チェーン)において、上流に位置する年金基金や保険会社などのアセットオーナー(資産保有者)の役割は極めて重要だ。アセットオーナーがESGに関する運用指針を持たなければ、下流のアセットマネージャーがESG投資を声高に叫んでも「仏作って魂入れず」と言わざるを得ず、従業員など受益者の最善利益は確保されないからだ。
「日本では『三方よし』に代表されるように、株主の最大利益だけでなく、取引先や従業員、地域社会など幅広いステークホルダーの利益も重視するという精神が昔からある。現代版の三方よしであるステークホルダー資本主義へのシフトを実現するには、企業は本業のSDGs(持続可能な開発目標)重視だけでなく、傘下の年金基金の資産運用においてもESGの視点を盛り込むことが望ましい」と木村氏。年金基金の加入者は、投資先企業の間接株主であるだけでなく、企業の従業員、消費者、地域住民の顔を併せ持つ。そのため、「本来、(加入者は)企業のステークホルダーの代表として、コーポレートガバナンスに係ることが理想である。彼らのサステナビリティに関する価値観を年金基金の投資プロセスに組み込むことが重要だ」という。ESGをめぐって、日本では母体企業と傘下の年金基金のサステナビリティに対するコミットメントに大きな開き(ギャップ)があると指摘されることもあるが、逆にいえばこの点を克服できればステークホルダー資本主義へ大きく前進するとみる。