F.L.ライトの意志を引き継ぎ蘇る、帝国ホテルの建築。

February 25, 2022

パリの事務所にて。背後の模型は田根がデザインアーキテクトを務める「帝国ホテル 東京新本館」。雛壇状のデザインが特徴だ。
PHOTO: YUJI ONO

田根 剛

建築家。1979年東京生まれ。ATTA – Atelier Tsuyoshi Tane Architectsを設立、フランス・パリを拠点に活動。場所の記憶から建築をつくる「Archaeology of the Future」をコンセプトに、現在ヨーロッパと日本を中心に多数のプロジェクトが進行中。代表作に<エストニア国立博物館>(2016)、<弘前れんが倉庫美術館>(2020)、<アルサーニ・コレクション財団・美術館>(2021)がある。主な受賞にフランス国外建築賞グランプリ2021、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞など。 www.at-ta.fr

東京、日比谷に帝国ホテルが誕生したのは1890年。明治政府と渋沢栄一ら財界の有力者が出資し、ジョサイア・コンドルの弟子であった渡辺譲を建築家に迎え、西洋化を目指す帝都・東京のシンボルとして作られた。1923年には新館がフランク・ロイド・ライトの設計によりオープンする。開業日は関東大震災が起きた9月1日。敷地の地盤が軟弱だったことを受け、ライトが「浮き基礎」という独自の工法を取り入れたことにより、建物の被害は最小限で済んだという。嵐の中での船出となったが、この2代目帝国ホテルは、「東洋の宝石」と謳われ、世界の賓客をもてなす場となった。その中にはベーブ・ルースやマリリン・モンローなども含まれ、1968年に建て替えのため壊されるまで(中央玄関部分は愛知県犬山市にある<博物館明治村>に移築されている)、多くの著名人がこの建物に滞在した。ライト設計の帝国ホテルは、建物の内外に常滑で焼かれたスダレ煉瓦と彫刻を施した大谷石が用いられた。もはや実物を目にすることはできないが写真に残る姿は、設計時にライトが関心を抱いていたと言うマヤ文明の遺跡を思わせる。現在の帝国ホテルは、高橋貞太郎が設計し1970年に竣工した3代目のものとなる。そしてこれに続く、4代目の帝国ホテルのイメージが発表された。デザイン・アーキテクトとして名が明かされたはパリ在住の建築家、田根剛。建築界では若手とされる42歳の彼にとって、東京で手がける最初の大規模な建築物となる。

田根が独立するきっかけとなった<エストニア国立博物館>(2016年竣工)。旧ソ連軍の軍用滑走路の延長上に、博物館の屋根がつながってゆくようなデザイン。 | © PROPAPANDA/COURTESY OF DGT.

田根剛が建築界で注目を集めるきっかけとなったのは、26歳の時のこと。イギリスの建築家、デビッド・アジェイの事務所に在籍していた2006年に、他の建築事務所で働いていたダン・ドレル、リナ・ゴットメと共に参加した<エストニア国立博物館>のコンペで最優秀賞を取る。旧ソ連軍の軍用滑走路から立ち上がるような建物のデザインは話題となり、これを機に3人で事務所を立ち上げ独立する。2012年に参加した2020年東京オリンピック招致に向けての新国立競技場のデザインコンクールでは古墳をコンセプトとしたスタジアムを提案し、最終審査に残る。明治神宮外苑に巨大な緑の森を出現させるプランは日本の建築界にも衝撃を与え、田根の名を日本でも知らしめることとなった。その後、2017年に田根は個人の事務所「Atelier Tsuyoshi Tane Architects」を設立。2020年に開館した青森県弘前市の<弘前市れんが倉庫美術館>を始め、日本とフランスを中心に多くのプロジェクトを手がけている。

昨年10月の帝国ホテルの記者会見で発表された田根による4代目ホテルのイメージは、高さ31mの基壇部とセットバックしたひな壇状の高層部から成るものだ。様々な文明の宮殿をリサーチしデザインしたと言う外観は、マヤ文明の影響を色濃く残すライトによる2代目帝国ホテルに通じるものがある。田根は、「場所の記憶から未来を作る」ことを設計の指針とし、「物から派生するアルキオロジー的なリサーチと、物としては残らない伝承的な人類学に対するアンソロポロジーな的なリサーチ」を行い、デザインを進めてゆく。今回、田根が着目しリサーチしたのは、「宮殿史」と「高層建築史」であった。

「帝国ホテルは、江戸時代の鎖国を経て、明治になり、西洋を中心に世界の賓客を招き入れる迎賓館として作られました。宿泊施設というより、迎賓の場であり、社交の場、そして様々な祭典(イベント)を行う場だったのです。そうした役目を果たす視覚的な場所を考えるため、古代のメソポタミアやマヤ文明から近代ヨーロッパに至るまで、さまざまな「宮殿史」をリサーチしました。もう一つ着目したのは高層建築の歴史で、19世紀末から20世紀初頭に高層建築は急速に作られるようになりましたが、当初は石の外壁から派生したシカゴ派のスタイルが主流でした。シカゴ派を代表する建築家はルイス・サリヴァンですが、彼はライトの師でもありました。途絶えてしまった石材を用いた高層建築の歴史の起源を今回とことん研究し直しました」

<博物館明治村>に移築されたライト設計の帝国ホテル玄関部分の建物(以下、「ライト館」)に対してはどのようなリサーチを行ったのかと聞くと、意外にも明治村を訪れたのはコンペに勝った後だという。しかし、この「ライト館」を初めて見て、田根は驚愕したという。

「帝国ホテル東京 新本館」のイメージパース。デザインは検討段階のものであり、今後協議などにより変更となる可能性はあるが、建て替えは2031年 〜36年度に行われる予定。 | © ATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTS

「奇跡的な建築というしかありません。一人の建築家が創造できる、創造物としても人智を越えた凄みがあり、奇跡としか言いようがない。交響曲のような劇的な空間構成、光、室礼、体験としてのライトの建築に圧倒されました」

田根はライトの建築の現代性にも注目した。

「ライトは、ローカルな素材を使ったり、自然循環(パッシブエネルギー)をデザインとして取り入れるなど、今建築界が試みようとしていることに、100年前から取り組んでいました。「ライト館」は、構造と設備が一体化して作られています。今の建築では空調設備や照明が後から天井や壁につけられますが、飾柱に照明が仕込まれていたり、換気口や、配線や配管などが一体的に解決されています。ライトの建築は強烈な個性もありますが、それは建築家のスタイルを押し付けるのではなく、それぞれの建築に特殊性を持たせるライトの考え方も、現代建築に通じるものがあります」

デザインにおいては参照していないが、ライトの古代文明からインスピレーションを受け、そこから建築を考えるという姿勢は共通するという田根。

「ライトの建築が古びないのは、新規性を求めていなかったからだと思います。新しいものはいつか古くなり、人は忘れてしまう。そうではなく、過去にあったものを継承し、記憶から未来を作ってゆく。そうして出来た建築物にこそ、時代を超える力があります」。

田根がデザインする帝国ホテルの完成が予定されているのは2036年。ライト設計の建築を超えることができるか。今から楽しみである。

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