August 26, 2022

【エーザイ】「顧みられない熱帯病」の制圧にかける覚悟と信念

By OSAMU INOUE / Renews

Eisai’s strong points

ILLUSTRATION: SHO FUJITA

1.Participated in the London Declaration on NTDs and the Kigali Declaration, both of which aim to eradicate neglected tropical diseases

2.Provided 2.05 billion tablets of lymphatic filariasis treatment drugs to 29 countries through the World Health Organization

3.Selected among the world’s 100 most sustainable corporations for the sixth time in 2022, ranking 32nd, the highest position among global pharmaceutical companies

4.Ranked 11th among the world’s pharmaceutical companies for advanced efforts to improve access to medicines in the Access to Medicine Index


今年6月23日、東アフリカの内陸国、ルワンダ共和国の首都キガリで、ある“戦い”の火蓋が切られた。武力衝突や内戦ではない。「顧みられない熱帯病(NTDs)」との戦いである。

NTDsは主に熱帯・亜熱帯地域の貧困層を苦しめている病気で、世界保健機関(WHO)が定義するデング熱やハンセン病など20の疾患群を指す。途上国を中心に、未だ17億人もの人々が感染リスクに晒されている世界的な課題だ。「持続可能な開発目標(SDGs)」のターゲットにも「2030年までに、エイズ、結核、マラリア及びNTDsといった伝染病を根絶する」と明記されている。

このNTDsやマラリアの制圧に向けたサミットがルワンダ・キガリで開催された。

ルワンダ大統領を始め、英国のチャールズ皇太子、ボツワナ共和国大統領、ジャマイカ首相といった各国首脳のほか、ビル&メリンダ・ゲイツ財団のメリンダ・フレンチ・ゲイツ共同議長なども参列。制圧に向け総額40億ドル以上を拠出することなどが盛り込まれた「キガリ宣言」に、各国政府や国際機関、民間支援組織、企業などが署名した。

同宣言には、複数のグローバル製薬企業が大量の予防・治療薬を寄付することも含まれている。ここに日本から、製薬大手のエーザイが参加していた。


「世界で最も持続可能な100社」、グローバル製薬でトップ

Sayoko Sasaki, Eisai Co.’s vice president, corporate communications and ESG (right), and Yasuko Minamida, executive director, sustainability department

2022年3月期のエーザイの連結売上高は7562億円。売上規模は、国内製薬で売上高首位の武田薬品工業(同3兆5690億円)や3位のアステラス製薬(同1兆2961億円)などに続く6位に位置する。にもかかわらず、グローバルにおけるエーザイの存在感は、売上規模のわりに高い。ESG/サステナビリティ分野で名を馳せているからだ。

サステナビリティ先進企業としてのエーザイの強み。それは、本業が世界の医療のサステナビリティに直接、貢献している点にほかならない。

カナダの投資調査会社が毎年、上場企業約7000社から「世界で最も持続可能な100社」を選出している。2022年版のランキングで、エーザイは日本から選ばれた3社のうちの1社だった。国内製薬企業としては唯一である。

6度目のランクインで、グローバル製薬企業では最上位となる32位。エーザイは各国の経済事情や患者の所得に応じた価格で医薬品を提供する「アフォーダブル・プライシング」を実践しており、「クリーン・レベニュー(=正しい収益)」という項目の評価が高かった。

開発途上国・新興国における取り組みは、オランダの医薬品アクセス財団も認める。同財団は毎年、低中所得国における医薬品アクセスの向上に対する取り組みで高評価だった製薬企業を「ATM(=Access to Medicine)インデックス」として20社選び、ランキングをつけている。エーザイはこのランキングの常連企業であり、2021年は6位の武田薬品工業に次ぎ、日本企業としては2番目となる11位を堅持している。

エーザイは、カーボンニュートラルを(Scope1&2に限定はされるが)政府目標より10年前倒しの「2040年に達成する」と宣言していたり、ダイバーシティ分野でも意欲的な目標を掲げていたりと、間接的なサステナビリティへの取り組みにも注力している。

だが、やはり「すべての人に健康と福祉を」というSDGsのゴールに向けた、直接的な貢献度合いが大きい。特筆すべきは、冒頭で紹介したNTDs制圧への貢献であり、WHOが頼りにするほどの存在となっている。


象のように足が腫れる「リンパ系フィラリア症」の制圧へ

NTDsの一つである「リンパ系フィラリア症(LF)」は、蚊を媒介としてフィラリアがヒトに感染する寄生虫症。処置が遅れると、象のように足が腫れあがる障害を発症し、生活に支障をきたすことがある。新興国・開発途上国を中心に14億人以上が感染リスクに晒されていたと推測されているが、予防・治療薬は世界的に供給不足だった。

特に、制圧に向けて大きな障害となっていたのが、3種類あるLFの予防・治療薬の一つ「ジエチルカルバマジン(DEC)錠」である。

制圧するには基本的に、DEC錠ともう1種類の錠剤を1年に1回、5年間集団投与する必要がある(「河川盲目症」という別のNTDsが蔓延している国では、DEC錠が副作用の関係で使えないため、DEC錠以外の2種を投与する)。また、WHOは最近、DEC錠が投与可能な国では、3種同時に投与すれば2回の投与で制圧できるというガイドラインも出している。

ところが、NTDs治療薬は先進国では古い薬であり、利益も出ないため、安定供給する製薬企業が少ない。特に、DEC錠だけはグローバルでの供給体制を敷く企業が2010年まで存在しなかった。そこで手を挙げたのがエーザイである。

エーザイの内藤晴夫CEOは当時、スイスのジュネーブに本部がある「国際製薬団体連合会(IFPMA)」の会長を務めていた。同じくジュネーブに本部があるWHOの事務局長とコミュニケーションを重ねるなかで、LFを制圧したくてもできない状況にあると聞き及び、「ならばエーザイが何とかしましょう」と約束したのがきっかけだった。

エーザイでESGを担当する佐々木小夜子執行役は、経緯をこう話す。

「エーザイは当時、DEC錠を生産したこともありませんでしたが、内藤が『寄付なら慈善団体でもできる。R&D型製薬企業だからこそできるのは、高品質な薬を製造し、安定供給することだ』として、ちょうど立ち上げようとしていたインドの新工場で製剤を開発・製造し、世界中に無償で提供すると決めたのです」


延べ20億5000万錠を無償供給

2012年、NTDsの制圧に向けWHOや英国政府、世界銀行、製薬大手などが共同で、過去最大級の官民パートナーシップ「ロンドン宣言」を発表。エーザイは唯一の日本企業として参画し、2020年までに22億錠のDEC錠を無償で供給するとコミットメントした。

実際、2013年10月からインドの工場よりDEC錠の出荷を開始。これまで29カ国へ延べ20億5000万錠(約8.2億人分相当)を供給し、エジプト・スリランカ・タイ・キリバスの4カ国におけるLFの制圧に大きく寄与した。

ただし、未だに“顧みられず”に苦しんでいる国は多く、LFだけでも未だ約8.6億人が感染リスクに晒されている。冒頭のキガリ宣言は、ロンドン宣言を継続するもの。ここで、エーザイは「DEC錠を必要とするすべての蔓延国で、制圧が達成されるまで無償提供を継続する」と改めて表明した。

相当な覚悟を必要とすることは想像に難くない。エーザイはこれまで、約40億円ものコストをかけてLF制圧に貢献してきた。そもそも、ゼロからDEC錠の開発に着手し、製造体制を築き、WHOの承認を得て、29カ国の主要港への供給体制まで整えてきた。

薬の提供だけではない。現場での集団投与の支援、衛生的な水タンクの設置、現地語での啓発パンフレット作成などの啓発活動……。エーザイの従業員が蔓延地域まで出向いて行う支援活動は多岐にわたる。

こうした活動も含めた支援を、すべての国でLFが制圧されるまで続けるというのだ。なぜそこまでして、エーザイは支援を続けるのだろうか。


中間者所得者層を生んでいく国での長期投資

「我々としては、医療較差の低減に貢献し、疾患制圧により労働生産性を改善し、中間者所得者層を生んでいくための長期投資だと考え、『プライスゼロのビジネス』として、取り組んでいます。ボランティアやCSRという位置づけだと、財務が苦しいときに継続できず、持続可能ではない取り組みになってしまう」(佐々木執行役)。

制圧に貢献することで、現地での信頼度や認知度が向上する。将来、その国の経済が発達していけば、がんや認知症の治療薬など、現地でのビジネスが伸び、利益として回収できるという算段だ。その他にも、多くのメリットがあると佐々木執行役は説明する。

いわく、WHOやゲイツ財団と協調しながら医療のサステナビリティに貢献することがグローバルでの認知度を向上させ、ブランディング強化につながる。それは、諸外国でのビジネスを拡大させ、各国での新たな人材獲得にもつながっていく。誇りに思う従業員が増えれば、人材のリテンションにもなり、結果として人材獲得コストも低くなる。数十億錠という大規模な生産計画は、工場の稼働率を上げ、製造コストの低下にもつながる――。

とは言え、将来、果実を得られる保証はどこにもない。コスト削減などの効率化も相関性が見えづらく、今後も数十億円もの大金を投じる動機としては、やや心もとないように思える。それでも、エーザイの信念は揺るがない。

やりきったとき、それが未来の企業価値向上に必ず結びつくという信念をもって、エーザイは突き進む。企業理念がそうさせるのだ。

2005年から企業理念を定款に明記して株主と共有しているエーザイは、今年6月の株主総会で新たな一文を追加した。

「人々の健康憂慮の解消と医療較差の是正という社会善を効率的に実現する」

ESG/サステナビリティと資本効率は両立すべき、という考えを端的に示した言葉。根底には30年間かけて培ってきた、「ヒューマン・ヘルスケア(hhc)」という言葉に象徴されるエーザイの企業理念がある(囲みインタビュー記事を参照)。

つまり、正しいことをしていれば利益はついてくるという、今で言う「ESG経営」の考え方を、エーザイは30年も前から取り入れ、実践してきた。その歴史や体験が社内に根付き、揺るがない信念をもたらしたと言える。だからこそ、「NTDs制圧プロジェクトは、まさにhhc理念が導く我々のビジネスドメインだ」と佐々木執行役は強調する。

近年は、企業理念の正当性を証明する研究にも取り組んできた。その結果、信念は確信へと変わりつつある。


「柳モデル」でESG経営への確信を深める

エーザイの株価純資産倍率(PBR)は、売上高や時価総額がエーザイよりも大きい国内製薬大手に伍するか、それ以上の水準で推移してきた。2021年度は、一時5倍を超えたこともある。「ESGへの取り組みとのあいだに何らかの相関性があるはずだ」。その仮設を立証したのが「柳モデル」である。

銀行を経て2003年にエーザイへ入社した柳良平氏は財務部長などを経て、一旦は外資系証券会社へ転職したものの、再びエーザイに戻り、2015年にCFOに就任した。一方で、早稲田大学大学院の非常勤講師や客員教授などを務め、学術的なアプローチを補強。ESG関連のKPIと株価純資産倍率(PBR)の相関性を重回帰分析で統計学的に証明した。

その方法論は柳モデルとして、米ハーバード大学のビジネススクールや、ブラックロックなどの資産運用会社なども着目。柳氏は「日本の企業価値向上に貢献したい」と今年6月に退任したが、DEC錠がもたらすインパクト効果を分析した論文の公表が控えているなど、柳モデルのDNAは確実に引き継がれている。

エーザイは歩みを止めない。現在はLFに続き、別のNTD「マイセトーマ」の治療薬の新規開発にも取り組んでいる。マイセトーマは、「最も顧みられない熱帯病」の一つと言われ、治療法や診断法がまだ確立されていない。まだ治験の段階だが、実現すれば唯一の治療薬として大きな貢献を果たすだろう。WHOなどとの連携も視野に入れている。

10年後、あるいは20年後かもしれない。いつかは地球上からNTDsが根絶される時代が訪れるだろう。そのとき、エーザイの世界的な名声と評価は、さらに高まっているに違いない。

Left: Diethylcarbamazine citrate (DEC) tablets, Eisai’s lymphatic filariasis treatment drug.
Right: Eisai’s treatment and preventive drug for lymphatic filariasis, which the company provides for free of charge, is being mass-administered.

エーザイには30年かけて培ったESG経営の素地がある

佐々木小夜子
エーザイ 執行役 コーポレートコミュニケーション担当兼ESG担当

エーザイでは、企業の価値は「社会善を効率的に実現していく」ことにあると考えています。これは、定款でも述べられ、また2021年度より実行している中期経営計画「EWAY Future & Beyond」のなかでも言及しています。

どういうことかと言うと、エーザイはボランティアでも慈善団体でもない。民間企業であり、企業としては、社会善を効率的に実現していくという覚悟を示したものです。

では、エーザイの「社会善」とはなにか。製薬企業として、人々の健康の憂慮を解消していく製品やサービスについてイノベーションを起こしていくこと。同時に、医療格差の是正に貢献していく。この2つを成し遂げていくことが非常に重要だと考えています。

「効率的に」という部分については、一つはビジネスパートナーを広く得ていくことを重視しています。もちろん、製薬企業同士のパートナーシップも大事ですが、医療格差の是正も含めた社会善の実現のためには、世界保健機関(WHO)やビル&メリンダ・ゲイツ財団といった組織との提携も重要です。

さらに、ESGに対する取り組みは中長期的な企業価値の向上につながる、という考えのもと、社会善は資本効率をしっかりと考えて実行していくという意味も「効率的に」の中には含まれています。社会善を、単発の寄付、慈善事業に終わらせず、20年、30年先のビジネスをしっかりと見据えて持続可能な形で実行していく。エーザイが世界のパートナーと取り組んでいる途上国の貧困地域に蔓延する「顧みられない熱帯病」の制圧活動は、そういった考え方に基づいた象徴的なビジネス活動と言えるでしょう。

これらの戦略や活動の根底には、我々が30年間かけて培ってきた企業理念があります。1988年に代表取締役社長に就任した内藤晴夫が、その4年後の1992年に「ヒューマン・ヘルスケア」という目指す企業像と企業理念を掲げました。

その理念のもと、全社員が、それぞれのビジネスの時間の1%、年間では2〜3日を使って、患者様やそのご家族とともに過ごす「共同化」を実践し、そこから得られるナレッジや患者様の想いを、我々の創出するイノベーションの源泉としてビジネスに取り組んできたという経緯があります。

この企業理念は、2005年に株主総会で承認されて、定款にも入れました。そのなかで、「当社の使命は、患者様と生活者の皆様の満足の増大であり、その結果として売上、利益がもたらされ、この使命と結果の順序を重要と考える」と謳っています。

これは、まさに今、求められている「ESG/サステナビリティ経営」を先取した考え方です。
エーザイは30年も前からこれを実践してきたため、このような考え方が当たり前のこととして、グローバル社員一人ひとりにまでに根付いています。このことが、当社がESG経営を推進する上での最大の強みとなっています。

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