August 25, 2023
なぜなに「和歌」Q&A
和歌は少なくとも7世紀以降、日本文化の根幹を担ってきた。しかし現代の日常生活では和歌そのものが遠い存在となってしまっている。だが、日本の文化をよく見てみると、何気ない生活のあちらこちらに、“日本人らしさ”を形づくる精神的な部分で、和歌のエッセンスが今も日本人の心に浸透していることがわかる。
例えば、日本人であれば「梅に鶯」という言葉を聞けば、誰もが「春」を想像するだろう(同時に、長い冬が終わって暖かい季節が始まり、生命の新たなサイクルが始まることを感じさせる)。そう感じる根拠が和歌にあることは、日本人ですら忘れてしまっている節がある。
このように現代日本人ですら意識していないことを、外国人に説明するのは難しい試みではある。しかし、日本人の感覚や日本文化について理解するためには、和歌を理解することがひとつの方法でもある。
今回は、和歌に関する素朴な疑問をQ&Aにまとめてみた。これら10の設問が和歌、ひいては日本文化を理解するための一助になれば幸いである。
Q:和歌とは一体、何ですか?
A:和歌は古くは「やまとうた」と呼ばれ、「からうた」と呼ばれた中国の漢詩に対する、日本固有の詩という意識から生み出されたものです。和歌は、5音と7音の語句を組み合わせて作られる定型詩になっています。
平安時代に成立した『古今和歌集』以降は、五七五七七という31音からなる「短歌」が主流となりますが、奈良時代の頃(7世紀後半~8世紀後半)に成立した日本最古の歌集『万葉集』に多く見られる五七を3回以上繰り返し、7音で終わる「長歌(ちょうか)」や、五七七を2回繰り返す6句からなる「旋頭歌(せどうか)」なども和歌に含まれます。
Q:和歌は、いつ誕生しましたか?
A:古い時代の歌人としては、天武天皇(686年崩御)の妃でもあった額田王(ぬかたのおおきみ)が有名で、宮廷の儀式で和歌を詠んだとされるため、少なくとも7世紀には和歌が成立していたと考えられます。
また、8世紀に成立した日本最古の書物『古事記』には、和歌成立以前の「上代歌謡(じょうだいかよう)」と呼ばれ、和歌の母体とされる詩が収められています。日本神話における男神、スサノオノミコトが詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」という和歌が、『古事記』(712年に編纂された歴史書)や『日本書紀』(720年に成立した日本の歴史書)にあり、これが史上初の和歌であるという伝説も残っています。
Q:和歌は、何についての歌を詠んでいるのでしょうか?
A:平安時代、905年に作られた『古今和歌集』の序文に「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」とあるように、和歌は人の心を表現するものとされています。
伝統的な和歌においては春夏秋冬の季節、長寿や家系の繁栄への願い、旅や恋を題材とした作品がポピュラーです。また、平安時代の貴族にとっては和歌を贈ることがエレガントに恋を語る手段であり、恋愛には不可欠の教養とされたため、数多くの恋に関する和歌が残っています。
Q:一番有名な和歌の本を教えてください。
A:日本で、小学生から大人まで親しまれる和歌のベストセラーといえば、「百人一首」です。鎌倉時代の13世紀に冷泉家の祖先、藤原定家が選んだ秀歌撰をベースに、8〜13世紀までの天皇や貴族、僧侶など、100人の和歌が1首ずつ集められ、江戸時代以降、カルタ版の登場により、一気に庶民の間にも広まりました。その「百人一首」の元となる和歌が入っている、現存する日本最古の和歌集『万葉集』や平安時代を代表する『古今和歌集』や鎌倉時代の『新古今和歌集』も、有名な和歌の本とも言えます。
Q:「和歌」と「短歌」の違いは何ですか?
A:特に近世以降は、五七五七七の31音からなるという同じ短歌の形式を持ちながら、伝統的な“型”を持つものを和歌、明治以降、個人の自由な表現として詠まれるようになったものを短歌と、あえて呼び分ける傾向があります。
和歌は漢語や外来語を除く、「大和言葉」と呼ばれる日本の固有語を用いることを原則としています。例えば、平安時代以降、「鶯・霞=春」というように四季折々の事物を定めたり、掛け言葉(同音でひとつの言葉に、2つ以上の意味をもたせる修辞技法)のようなテクニックの多用といった「型」を重んじます。
ちなみに、大和言葉は「いとをかし」のような古語だけでなく、「桜」「春」などの訓読みの単語、「見る」「比べる」など、現在も使われる動詞も多くあります。
例1) 漢語「期間」「成功」など。
例2) 外来語「ヨット」「テーブル」など。
例3) 掛詞 在原行平「立ち別れ いなばの山の 嶺におふる まつとし聞かば 今かへりこむ」の「まつ」は「松」と「待つ」のダブルミーニングになっています。31音という制限があるなかで、より深く広がりのある表現をするためのテクニックが掛詞で、「秋」と「飽き」、「浮き」と「憂き」、「住む」「澄む」などがあります。
Q:日本語以外でも、例えば英語でも、和歌を詠むことはできるのでしょうか?
A:和歌は、外来語を使用しないという決まりがあるため、基本的には、英語で詠まれたものは和歌ではないとされています。
しかし近年、「HAIKU」と並び、「TANKA」と記される短歌も英語で詠まれています。また、明治時代には既に英訳されていた『万葉集』をはじめ、百人一首などの古典から、現代を代表する歌人・俵万智の歌集に至るまで、様々な歌集が英訳されているのも事実です。和歌は、訳す人の感性によって、言葉の捉え方が異なるため、ひとつの和歌に対して、いくつもの解釈(訳)があるのも面白いところです。
Q:和歌は、日本文化にどのような影響を与えていますか?
A:和歌は伝統的な日本文化の素と言っても過言ではありません。尾形光琳作の国宝「燕子花図屛風」には『伊勢物語』に出てくる和歌を題材としていますし、桜が美しい吉野や紅葉で有名な竜田川など、昔から和歌に詠まれてきた名所は、工芸品を彩るモチーフの定番です。また、『源氏物語』にも多くの和歌が登場するほか、能も和歌から題材を得たものが多く、詞章(ししょう)自体も和歌同様の五七調になっているなど、日本の伝統文化には、文学作品から身の回りのものに至るまで、いろいろなところに和歌のエッセンスが散りばめられているのです。
Q:和歌を表現するために、「ひらがな」が生み出されたって本当ですか?
A:中国から漢字が伝来するまでは、日本固有の文字はなかったとされています。漢字そのままでは日本語を表すには不便なので、最初は『万葉集』に見られるように、日本語を表すために漢字の音を借りたことから「万葉仮名」が生み出されました。しかし、漢字は画数が多いため、書くのに手間がかかる。そこで徐々に漢字が簡略化されて、平安時代初期(8世紀後半~9世紀)には、ひらがなへと変化していきました。日本人の心に沿う、ひらがなは、主に和歌や手紙、物語を書くために使われました。
Q:和歌と日本の皇室の関係について教えてください。
A:天皇家は日本で最も古い歌人の家系になります。現存最古の和歌集『万葉集』冒頭に登場する、雄略天皇(考古学的に5世紀に実在がほぼ確定している、第21代天皇)の一首以降、歴代天皇は多くの和歌を詠み、また、勅撰和歌集の第一号、醍醐天皇(在位897年~930年)による『古今和歌集』をはじめ、天皇や上皇の命による和歌集が度々、編纂されてきた歴史があります。そう、天皇こそが、和歌のリーダーであったのです。現在も毎年正月の儀式として、皇居では天皇皇后両陛下の御前で歌会始(うたかいはじめ)が行われています。
Q:和歌にはスピリチュアルな力があるって本当ですか?
A:通常の日本語の話し言葉と異なる五七調のリズムから、かつて和歌には、呪術性があるとされていました。そのため、『万葉集』には国土の繁栄を願ったり、土地の精霊や死者の魂を鎮めるための歌も多く見られます。
また、『万葉集』を代表する歌人、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)や山部赤人(やまべのあかひと)は和歌に長けていたことから、祭神として神社に祀られています。その他、紙に書けば「行方不明になった猫が帰ってくる」とされる、百人一首に収められた在原行平(ありわらのゆきひら)の和歌のように、おまじないとして使われることもあります。