February 22, 2024

LOEWEも賞賛したガラス作品。

ライター:橋本麻里

古い賃貸住宅を自らの手で改装した白く明るい空間が、井本真紀のアトリエだ。成型から焼成まで、この場所で全て一人で行っている。
PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

人類がその製法を発見してから約4500年。透明、硬くて脆い、成形・加工しやすい、といった特徴を持つガラスは、見慣れた飲食器から巨大な光学望遠鏡のレンズ、スマートフォンのタッチスクリーン、そして極低温に耐えるワクチン保存容器まで、新しい技術の発展とともに、用途を次々と拡大している。

そんな古くて新しい素材であるガラスに、ひと目ではそれとわからない質感、形状を与えた作品によって、「LOEWE FOUNDATION Craft Prize 2023」のファイナリストに選出されたのが、井本真紀だ。昨年、東京・天王洲のBONDED GALLERYで開催された「Capturing the Light 」展でも、表面のマットでざらつきさえ感じる質感、有機物のようにも無機物のようにも見える形状など、「ガラス」のステレオタイプから逸脱した表現のユニークさが、国内外のコレクター、アートファンの注目を集めた。

決して饒舌なタイプの作品ではない。ひと目見るなり、まず「これはなんだろう」と好奇心を掻き立てられる。だが未知の質感を目で味わううち、容易に内部へ踏み込ませない硬質で強靭な気配、それでいて生物が凍りついたような脆さの予感に、心にさざなみが立ってくる。素材がガラスだとわかっても、安心も納得もできない。その作品は、容易に「腑に落ちる説明」を開示することなく、スフィンクスのように謎めいた表情のまま、たたずんでいる。

現在の井本の作品はキルンワーク、“kiln(キルン)”とは窯の意で、言葉どおり窯を使って制作する。その中にも複数の技法があるが、井本の場合はまず石膏で型をつくり、型の内側に、粉にしたガラスを塗布して、電気炉で焼成する。ひび割れた窓ガラスが曇ったように見えるのと同じ理屈で、透明なガラスを粉にすると、細かい凹凸によって光がさまざまな方向に反射(乱反射)するため白く見える。井本の作品の光を透過させず、うちに溜め込んだような白さは、顔料などでつけた色とは異なるのだ。

ボトルに似た形状でも、質感や作成手法が異なる旧作からはガラスの多様さが伺える。
PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

当初は民藝運動から生まれた、アノニマスな日常の器やその作り手に共感、尊敬するガラス作家が教鞭を執る岡山県倉敷市の美術大学に、23歳と一般よりやや遅いタイミングで進んだ。ガラスコースに在籍して、さまざまな技術、表現技法に触れ、ガラスという素材自体が持つ多様な側面を夢中で探っているうちに、修士課程を経て博士号を取得。そもそもの動機だった器から離れてしまうことにジレンマを感じながらも、制作を続けている。興味深いのは、その姿勢だ。「特に電気炉を使う手法は、自分がいろいろ考えて仕込んだものも、いったん炉に入れてしまえば手が出せません。自分の手を離れた後で、出てきたものにびっくりする、そんなプロセスにはまってしまったのだと思います。また、『溶ける』性質も重要で、ガラスほど重力に素直に変化する素材はなかなかありません。なので、学生時代のある時期まで、熱や重力の『コントロール』が意識の大きな部分を占めていました。何をどんな配合で混ぜて素材とするか、型をどうつくれば、炉内で熱がどのように伝わるか。コントロールはしたい、一方でどうなるかわからない要素もほしい。そうやって実験を延々と続けているうちに、本当はどちらがやりたいのかわからなくなって、作れなくなってしまったのです(笑)。今はもう、私は私で好きなようにするので、ガラスはガラスで好きに動いてくれていい、くらいの感覚です。『つくる』という行為の過程には、素材や環境など、自らの意思以外の要素がたくさん入りこんできます。そうやってガラスを触りながら、自分自身も変化していく──そのプロセスを経た後ではもはや、最初の意図やコンセプトは過去のものになっているわけですから」。

学生として、その後は助手として長い時間を過ごした美大は、井本の入学当時から女性の生徒数が多く、6-7割は女性だった。助手を務めた秋田県の大学では、ガラスコースに在籍する女子学生の比率が8-9割にも達していたという。

「その一方で、教員はほとんどが男性でした。教員を採用する側も男性なので、そうなってしまうのかとも思いますが、バランスの悪さは明らかです。これから美大へ進学する女子学生たち、卒業後に作家として活動していきたい女性たちが、のびのびできる環境を、私たちがつくらなければとは思います」。

2022年、そんな大学から離れて、作家として独立した。素材の調達に苦労がなく、制作に没頭できる現在の環境は一見理想的に思えるが、ひたすら孤独に制作を続ける毎日では精神的な健康を保てないのではないか、という危惧が芽生えつつある。だから実はいまアトリエの移転を考えている、と井本は言う。学生時代を過ごした岡山には、群れるのではなく、数は少なくとも大切なものを分かち合える友人たちがいる。孤立した集中から、柔らかな連帯へ。新しい環境へ踏み出した井本のガラスが、この先どのように変化していくのか、楽しみでならない。

最近の作品から。石膏型に詰める粉ガラスの厚みを加減することで、危うさを感じさせる断裂や肥瘦を表現できる。

粉にしたガラスを石膏型に塗りつけて成型する。

井本真紀

兵庫県生まれ。2010年、倉敷芸術科学大学大学院 後期博士課程 単位取得退学(2011、博士[芸術])。2023年、LOEWE FOUNDATION CRAFT PRIZE 2023 finalist。同じ2023年には、中国・上海や札幌で個展を開催したほか、東京でグループ展「Capturing the Light」に参加。

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