February 22, 2024

米の飼料化が、日本の畜産を救う。

文/井上恭介

牛への愛情が肉に表れる。農家が牛にかけた手間が肉質にでるという。
COURTESY: KAMICHIKU GROUP

その人は、自らを「牛飼い」と呼ぶ。少なくとも江戸時代以降日本で続いてきた、牛を育て、流通させ、肉にして売る「飼い方」があった。その精神を引き継いでいることを自覚することで、今直面する難局を乗り越えたいという思いによるのだという。子牛を産ませるところから、おいしく食べてもらうまでを、直接、大規模に手がける鹿児島の企業集団<カミチクグループ>を率いる上村昌志さんが、その人だ。 2017年に入ったころだっただろうか。羽田空港の近くで初めて会った時、その場で意気投合。固い握手をかわして再会を誓ったことを、今も覚えている。

その頃、私は民俗学の巨人・宮本常一の著作に没頭していた。なかでも印象的だったのは、四国の山あいの橋の下に暮らす元バクロウの老人への聞きとりだった。農家が牛を育てる時、実は欠かせないバクロウが差配する飼育・流通システムについて語っていた。しかしその老人は口八丁で生きたという実感しかない。自虐的な話の中から常一は、バクロウあってこその牛肉生産だったこと、実は、社会や地域、あるいは家族の中で声をあげづらかった「よわきもの」に寄り添う存在だったことを、いきいきと記録していた。私はその内容をどう理解したか、申し上げた。「戦後日本の畜産をアメリカ産の飼料と育て方が席巻する中、バクロウが消えたことが今の窮状につながっているのではないか」。上村さんは、「実は我々はバクロウの末裔。その誇りを胸に、頑張っているんです」と、語った。

2017年4月、<カミチクグループ>の現場を訪ねた。できる限り自然のまま、しかも究極の能率で母牛に子を産ませる農場。母乳を飲んで走り回る子牛の優しい目にくぎ付けになった。肥育した牛を一頭一頭農家から買い、高い肉質に農家の努力と愛情を見てとるという現場。牛の血統に詳しいという担当者は「上村社長とその話になったら当分終わらない」と笑った。最高の中の最高がでましたという、その枝肉を実際に見た。断面の美しさに息を飲んだ。

圧巻だったのは<カミチクグループ>の宝、種牛との対面だった。破格の大きさ、そして何より立ち姿の美しさに圧倒された。夜、夕食に牛肉をいただきながら、上村さんにその美しさの感想を述べた。それを聞く上村さんの満足そうな顔。「サラブレッドの脚みたいでしたか。それが私たちの種牛です」と、上村さんは、いとおしそうに語った。

ロシアのウクライナ侵攻で異様な混乱に陥る日本の畜産業界。輸入飼料の高騰で日本各地のブランド和牛が消えかねない事態だと聞き、2023年、再び<カミチクグループ>の現場を、訪れた。最近、<カミチクグループ>がオープンさせたという、好みの肉を選びその場で焼いて食べる店に上村さんが待っていた。精魂込めて育てた牛を最高の状態で食べて欲しい、という上村さんのこだわりが透けて見えた。それにしても自ら絶妙に焼きあげる上村さんの手際。肉とごはんを頬張りながら、飼料高騰の時代に立ち向かう最前線をしっかり見て欲しいと言われた。

秘書の女性の案内で、様々なものを牛の飼料にする現場を訪れた。牧草やトウモロコシなどだけでなく、焼酎工場からもらった芋の搾りかすや、雑草など。飼料の原料は多彩だ。そして今まさに本格導入を目指すのが「米」。前回のコラムで「豚のエサに米」の話をしたが、牛はもう一段ハードルが高い。米をそのままやっても牛が消化できないのだ。そのため、発酵のさせ方など試行錯誤していた。数か月後、見事成功したとのことである。

なぜ今「米」なのか。飼料を買う側の窮状とともに、<カミチクグループ>が注目するのは、主力産品である米が売れないがために悪化の一途をたどる「米に頼ってきた農家」の経営だ。後継者不足と廃業。そんな米農家を支え、共に地域を保つために役に立てないか。特に鹿児島の米は、有名な銘柄も少なくアピール力に欠ける。牛に米を食べさせて肉質が良くなり、牛肉が地域の発信力となれば、相乗効果は計り知れない。高齢化する地元の農協が「うちもやりたい」と次々手をあげているという。

それにしても輸入飼料をめぐる状況の複雑怪奇なこと。<カミチクグループ>がまとめた資料には、乾燥牧草の輸入先として最近伸びてきたオーストラリアで近年頻発する干ばつと豪雨被害。小麦の市場価格が高騰すると牧草栽培をやめ、小麦に切り替えるから、また牧草生産が減る。運搬する船の事情も影を落とす。2022年夏ごろまでコロナ禍によるサプライチェーン停滞に伴うコンテナ船の滞留で、飼料輸送に影響が出たと指摘している。

北米ではトウモロコシが収穫のタイミングで干ばつや一部地域でのハリケーン被害で減産。旺盛な需要などによる在庫量の低下もあいまって相場は上昇。ウクライナ産小麦を日本は輸入していなかったが、ウクライナに頼っていた国々が米国産、ブラジル産に切り替えたことが日本を直撃。そこへ追い打ちをかけた円安。他方、<カミチクグループ>が国内で進めてきたトウモロコシ生産は、イノシシや鹿の獣害、ツマジロクサヨトウという害虫の打撃を受けた。そういう状況下で、稲作農家も希望して「米の飼料化」の流れが起きている、と書かれていた。

あまりに過酷な現在の状況。しかしそれでも前を向き、全体最適を探るその姿勢は、まさにバクロウ以来の日本畜産の知恵といえるのではないか、と感じた。

上村昌志さんのこだわりは種牛の血統、肉質のランクづけなど牛飼いのすべてに及ぶ。
COURTESY: KAMICHIKU GROUP

井上 恭介(いのうえ きょうすけ)

作家・テレビディレクター。1964年生まれ。東京大学卒業後、1987年、NHK入局。以降ディレクター・プロデューサーとして30余年、『NHKスペシャル』などのドキュメンタリー番組を制作、あわせて取材記を執筆してきた。現在、ジャパンタイムズが主宰する「Sustainable Japan Network」アドバイザーも務める。

今回の連載『Satoyama Capitalism 2024』では、自らが長年取材を続けてきた“お金第一主義”ではない価値観で暮らす人々を紹介する。

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