April 26, 2024
富士屋ホテル創業家出身の作家が語る、文化財ホテルの魅力と残す苦労とは?
「文化財というものは、歴史がリアルな形で残り、歴史を今に伝えてくれるもので、過去と未来を結ぶものです。同じ文化財でも神社仏閣やお城や博物館とホテルの大きな違いは、そこで飲食ができてその後に泊まることができることです」。箱根にある富士屋ホテルの創業家出身で作家の山口由美は、文化財に泊まる醍醐味をこう語る。
富士屋ホテルは、1878年(明治11年)に横浜出身の山口仙之助によって創業された。明治維新があり、開国と共に外国人が多数来日し始めた文明開花の時代である。当時、外国人は横浜や築地などの外国人居留地に住むことが義務づけられており、許可なく居留地から半径40㎞の外に出ることは許されなかった。ところが、1874年に法改正があり、医師の診断書があれば、病気療養の名目で温泉などに行くことが容易になった。
「居留地のあった横浜に近く、温泉保養地として外国人にあったのが箱根でした。夏や冬の長期休暇のみならず週末にも気軽に訪れることができる距離感と、仙之助が学んだ慶應義塾の福沢諭吉も当時この地の開発に注目していたことが、地元の横浜でなく、仙之助があえて箱根にリゾートホテルを建設した理由だったのではないでしょうか」と山口由美は語る。
富士屋ホテル
1878年創業の歴史あるホテル。敷地内には時代が違う様々な建物が建つ。1997年に「本館」「花御殿」「菊華荘」など6つの建築が登録有形文化財に登録された。2018年から2年以上かけて耐震改修工事を行い、当時の姿はそのままに最新設備を備えたホテルにリューアルされた。写真下は、社寺建築や校倉作りを取り入れた、三代目・山口正造設計の宿泊棟「花御殿」(1936年竣工)。
同じ場所、同じ名前で続いているものとしては日本で一番古いホテルとして、また日本初の本格リゾートホテルとして、今も国内外からの賓客を最高のサービスでもてなし続けている箱根富士屋ホテル。
創業者の山口仙之助は横浜の異人館をベースにした「本館」や「西洋館」を建造。日光金谷ホテルの創業家に生まれ、自身も設計に深い造詣がある三代目・正造は、「花御殿」に代表される細部にまでこだわった寺社造りの建築物を手がけたことで知られている。第二次世界大戦を乗り切った四代目・堅吉は、戦後モダニズムスタイルの「新館」を建造。1998年にそのほとんどが国の登録有形文化財に指定された。
「ホテルは、チェックインをしてから、チェックアウトするまで、時間軸の変化とともに様々に異なる表情を見せます。そこが、宿泊施設ではない文化財との大きな違いです。生きた歴史の中で、時間旅行が体験できることが、文化財に泊まる大きな魅力だと思います」。文化財に泊まる魅力について、山口はこう話す。
関東大震災でも第二次世界大戦でも休館したことのなかった富士屋ホテルが、開業以来初めて約2年3ヶ月という長期休業に踏み切ったのは2018年4月のことだった。目的は全館の耐震修復工事。2013年に耐震改修促進法が改正され、不特定多数の人が利用する建物のうち大規模なものについて耐震診断の実施と結果の報告が義務付けられたため、営業を続けていくために耐震改修が必要となったのだ。
「さまざまな解体案や新築案が検討されましたが、厨房とカスケードルームを取り壊し新設する以外はすべての建造物を残す方針が決定されました。老朽化した厨房を最新設備にし、危機管理の意味も含めて厨房を2つ設けました。そうすることで、衛生面を大幅に向上させより一層の食の安心・安全を徹底できるようになりました。耐震と防火対策については、建物ごとに文化財的価値を損なわないように考慮しながら、それぞれの構造に合わせた工事が行われました」。
例えば、食堂棟1階にある〈メインダイニングルーム・ザ・フジヤ〉。柱のない大空間と壁一面の大きな窓や格子の天井絵が美しい箱根富士屋ホテルを代表する空間だが、食堂棟は大規模木造建築。そのため工事には綿密な計画と繊細な施工が必要だったという。ダイニングルームの壁や天井にあるパネル一枚一枚を全部はがし、壁と天井の中には耐震補強と防火設備を格納。天井には一見ではわからないようにスプリンクラー、非常照明、煙探知機が設置された。パネルは京都の文化財修復専門家に依頼して修復を行い、すべてを元通りに戻したため、何もかもが改修前とまったく同じに見えるところが凄い。
木造の本館と食堂棟は、防火扉や防火シャッターを設置することで煙の降下時間内に避難できる安全性を確保し、木製の内装や装飾を残すことを可能にした。課題だった水回りも、ゲストルームと厨房を含むすべてを新しくし、より一層快適な滞在が実現された。歴史的文化財の姿はそのままに、富士屋ホテルは最先端の技術で最新の機能を備えたホテルに生まれ変わったのだ。
「この長期間に及ぶ耐震改修工事は、“文化財に泊まる”という命題を未来に繋げていくために避けては通れない大事業でした。文化財が宿泊施設として継承されていくにあたって、改築改修は不可欠なテーマです。それが成功するか否かは、文化財のことをきちんとわかっている設計者と地方自治体や国の専門家がうまくタグを組めるかどうかにかかっています。富士屋ホテルの場合は、単なる建物の耐震修復ではなく文化財としての修復という意味合いが色濃く、それが非常にうまくいったモデルケース。歴史的建造物に泊まりながら、現代の快適さを堪能できるホテルに生まれ変わったという点が、素晴らしいと思います」
箱根には、山口の祖父である山口堅吉が1930年(昭和5年)に建てた自宅があり、こちらも国の登録有形文化財になっている。洋館の本館と、戦後まもなく増築された日本間の別館があり、現在は《ヤマグチハウス》という民泊のゲストハウスとして海外からの旅行者を中心に利用されている。民家などの小規模な文化財を維持していくために、民泊はとても有効な手段だと山口は言う。
「文化財として保護していくことと、ビジネスとして運営していくことを両立させるのが、住宅系や小規模な文化財を後世に残していくためには重要です。宿泊施設は、飲食店などに比べると一番負荷がかからない方法だと考えます。空き家にしておくと家はどんどん傷んでいきますが、民泊で活用すれば文化財として持ち堪えることができます。箱根富士屋ホテルのような大規模なホテルを文化財として残していくことはもちろん重要です。と同時に個人所有のような文化財を維持する方法を考えるのも非常に大事だと思っています」。
YAMAGUCHI HOUSE
山口堅吉が箱根・大平台に建てた自宅は、2015年、国の登録有形文化財に登録された。この家は現在〈ヤマグチハウス〉として宿泊できる。1930年に建てられた洋館(本館)と、戦後すぐに増築された数寄屋造りの日本間、昭和中期に建てられた和建築のアネックスの3棟からなる。右の写真は、堅吉の書斎だった部屋。左の写真は日本間の茶室だった床の間付きの部屋。
山口由美
1962年、神奈川県箱根町生まれ。旅行作家、ノンフィクション作家。旅とホテルを主なテーマに幅広い分野で執筆。2012年『ユージン・スミス 水俣に捧げた写真家の1100日』で、小学館ノンフィクション大賞受賞。箱根の富士屋ホテル創業家四代目山口堅吉の孫にあたり、著書に、『箱根富士屋ホテル物語』や『クラシックホテルの歩き方』をはじめ、ヤマグチハウス開業の顛末を書いた『勝てる民泊』、また近著として、『世界の富裕層は旅に何を求めるか 「体験」が拓くラグジュアリー観光』がある。