January 24, 2025

全焼から再起した新潟県の日本料理。

ライター:寺尾妙子

皮をカリカリに焼き上げた「焼物 真はた」は、その骨を焼き、昆布と共に湧水でとった出汁を張って供される。素材のエッセンスを抽出することで、真はたの魅力を最大限に引き出す手法は、フランス料理的な発想だが、亮太によれば「その魚が生きるように考えた結果」だとか。
PHOTOS: TAKAO OHTA

新潟県北部の日本海沿いにある村上市は、人口5万5千人弱の小さな街だ。街にはシンボル村上城趾や重要文化財に指定される若林家住宅といった武家屋敷があり、歴史も感じられる。街中に見られる城下町を感じる黒塀は戦後、ブロック塀が増えたことで景観が損なわれたこともあったが、2002年より市内の有志が寄付を募り、子どもからお年寄りまで力を合わせて修景するプロジェクトも進行している。

割烹『新多久』はそんな街の一画に佇む。ルーツは同地に慶応3年(1867年)に誕生した料亭『錦鱗閣』。その後、店名を『新多久』と改め、およそ150年の時を刻んできた。店を営むのは5代目店主となる山貝真介、亮太の兄弟とそれぞれの妻の4人。兄弟が料理を作り、妻2人が接客を担う。現在は、その独創的な料理が評判を呼び、全国各地、また海外からもゲストが訪れるまでになったが、そこに至るには大変な苦労があった。

「2005年に店が全焼したんです。店舗はもちろん、代々伝わってきた器なども全部使えなくなりました」と当時、すでに京都での修業を経て実家で料理を作っていた兄、真介は言う。

それまでの『新多久』は2階に100名が集える140畳の大広間があり、芸者さんも入るような華やかな宴会が行われる料亭だった。

新潟県 (日本料理)
新多久
新潟県村上市小町3-38
Tel: 0254-53-2107
https://murakami-sintaku.com/

「両親は元のような料亭に戻したいと言いましたが、2006年のリニューアルをきっかけに、そうした社交場ではなく、カウンターをメインにした料理中心の割烹へとスタイルを変えていったんです」(真介)

そこに同じく京都で修業をし、別の仕事に就いていた弟、亮太も合流。兄弟で店の再建に取り組んでいった。料理の方向性も次第に変化していく。

「昔は村上市の名産である鮭を使った鮭尽くしのコースも出していましたし、“いいもの”を使うという意識で他府県産の素材も使っていました。でも、実は村上産でなんでも揃うことに気づいたんです」と真介は言う。

確かに村上市は食材に恵まれた土地である。三面川で獲れる鮭を筆頭に、春には桜ます、夏には岩ガキや鮎、冬のノドグロにずわい蟹。通年食材として村上牛、日本の茶の北限産地として村上茶。さらには日本酒やワイン、味噌に醤油まで揃う。また、亮太は罠猟の免許を取得し、店の敷地内に食肉処理施設を設立。秋冬になるとイノシシなど、新鮮なジビエも提供する。その結果、いつしか扱う食材の9割が村上産となった。

料理は真介と亮太、2人でアイデアを出し合って作る。日本料理の伝統的技法をベースにしながらも「その食材が生きるように」作ると、どこにもない独創的な一品が出現する。そんな料理こそが村上市の魅力を伝える、観光大使になっている。

山貝真介(右)、山貝亮太(左)

真介/1978年、新潟県村上市『新多久』次男として誕生。京都市での修業を経て、25歳で実家に戻り、家業に入る。店では主にお造り、八寸を担当。亮太/1979年、新潟県村上市『新多久』三男として誕生。高校生の頃より家業を手伝った後、京都市で3年間修業。いっとき料理の世界を離れるも、2005年『新多久』全焼をきっかけに家に戻り、真介と共に店を再建。海釣りのほか、罠で猪や穴熊などの狩猟も行う。店では主に煮物、焼物を担当する。

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