October 22, 2021
長谷川愛――あらゆる社会課題を前に、アートを通じてもうひとつの未来を提示する
「Speculative Design」という言葉をご存じだろうか。今ある現実や社会の事象に対し、「もしこんな未来だったら、あなたはどう考えるか?」と問い、考えさせるデザインのことである。イギリスのRoyal College of Artのアンソニー・ダン教授とフィオナ・レイビー教授が提唱し、世界的に注目を集めている手法だ。たとえば、「もしこの世界に車輪が発明されていなかったら、いまの自転車はどんな形をしていただろう?」と問いかけ、ありえたかもしれないデザインを提示するという手法だ。ダン&レイビー教授に師事した長谷川愛は、このSpeculative Designを実践するアーティスト/デザイナーのひとりである。その発想はときに奇想天外で、科学やテクノロジーの知識も取り入れながら、適切な問題提起を通じて人々に働きかける。
たとえば代表作のひとつ『(Im)possible Baby』は、実在する同性カップルの遺伝情報の一部から予測された「子ども」の顔かたちや性格などをもとに、バーチャルな「家族写真」として提示する作品だ。もちろん、現時点で同性間から子どもをつくることは法律で禁止されているが、今後バイオテクノロジーが発展すれば、理論的に不可能ではないとも示唆されている。そのとき、長谷川は彼女たちの「家族写真」を人々に見せることで、その倫理的な是非を問うだけではなく、「あなたはどう感じるのか」と問いかける。
長谷川 愛
アーティスト、デザイナー。バイオアートやスペキュラティヴデザインなどの手法を用いて、生物学的課題や科学技術の進歩をモチーフに、現代社会に潜む諸問題を掘り出す作品を発表している。2014年から2016年秋までMIT Media Lab,Design Fiction Groupにて研究員、2016年MS修士取得。2017年4月から2020年3月まで東京大学特任研究員。2020から自治医科大学と京都工芸繊維大学にて特任研究員。文化庁メディア芸術祭エンターティメント部門審査員。
「私は作品を通じて、一人ひとりが考え、適切な議論ができる場をつくりたいんです。一方的にこちらが正しいのだと説得するのではなく、公平な議論をいかに担保するかをいつも気にかけています。過去にインドネシアで展示した際は、ムスリム文化圏であることも相まって、はじめは否定的な意見も多く見られました。けれど、そのコメントを展示空間に掲示すると、今度は別の人がまた違った視点からコメントをしていく。ポストイットが何枚もツリー状に連なることもあって、人々の多様な考えが交錯していくことが興味深かったです」。
そんな長谷川は、自分自身がアメリカのMIT Media Lab在籍時代に感じた有色人種への差別経験をもとに、人の偏った認知バイアスに対して異なる方向性を提示する作品『Alt-Bias Gun』を発表している。2020年に非武装のジョージ・フロイドが警官に絞殺された事件は記憶に新しいが、アメリカでは何十年も前から同様の事件は続いていた。それらの問題を知った長谷川は、機械学習の技術を用いて、過去数年の事件のデータから「警官に射殺されやすい黒人の顔」を抽出し、映像モニターに映し出すという作品をつくった。そのモニターの前には銃のレプリカが置かれ、「射殺されやすい顔」が表示されると、銃が数秒間ロックされるという仕組みだ。
「人は生きていく以上、社会的または文化的バイアスから逃れることはできません。けれど、その脳の認知にテクノロジーを介在させることで、今後の社会システムを改善したり、新たな教育のありかたが見つかったりするかもしれないと思いました」。
テクノロジーがもたらす新たな未来を夢想してきた長谷川だが、近年の度重なる災害や温暖化といった環境問題を前に、これまで自認してきた「テクノ・オプティミスト(テクノロジー楽観主義者)」のままではいられなくなったとも語る。そこで長谷川が提案したのは、富士山が噴火するなかで茶会をするという『Mt.Fuji Eruption Tea Ceremony』だ。長年、富士山は大噴火する可能性があると予測され、内閣府がハザードマップなどを発表しているにもかかわらず、多くの日本で暮らす人々はそのことを忘れて生活している。こうした無意識にも軽視されている事象を「灰色のサイ」と呼ぶが、長谷川はこのサイに気付かせ、そのリスクを改めて検討する場を設けた。富士山がいままさに噴火しているという設定のなかで、優雅に茶会を楽しむ。そうした長谷川の提案からは、さまざまな社会課題に対して、いかにポジティな未来を想像していけるかというメッセージが私たちに投げかけられているようだ。