December 16, 2021
【扉ホールディングス】歴史ある古民家を再生させることで、地域全体として豊かになる。
国宝・松本城が街の中心にそびえる長野県松本市。長い歴史のうえに成熟した文化が根付く、人口24万人の地方都市だ。東京・新宿から電車一本でアクセスできるので、旅行者だけでなく、移住者も多い街として知られている。そんな松本で生まれ育ち、4代にわたって宿泊業を営んできたのが、扉ホールディングスの齊藤忠政だ。創業90年となる老舗旅館〈明神館〉を筆頭に、松本市内でレストランやシティホテルを経営している。
そんな齊藤が、古民家を再生した宿を立て続けにオープン。地域を巻き込んだ、新しい観光のあり方を提案している。
2019年にオープンした〈Satoyama villa DEN〉は、築190年の土蔵を含む民家を改装した宿。松本市内から車で15分の、北アルプスを一望するのどかな田園風景に建つ。宿のコンセプトは“Sense of Place”。松本の日常に触れられることを観光の目的とし、敷地内の畑で農業体験ができたりと、日本の里山の暮らしを味わえる仕掛けがある。「これまでのホテルや旅館は、“非日常”を味わうものだったと思います。でも今は、価値観も旅のスタイルも多様化している。ここは宿泊者が自分の日常から離れ、“旅先の日常”へと入り込める場所なんです」
もうひとつの宿は〈Satoyama villa 本陣〉。江戸時代に建てられた「本陣」を改装した宿泊施設だ(建物は明治41年に焼失、現在の建物は大正初期に江戸期の建物を再現し再建されたもの)。本陣とは、江戸時代に松本と東京を行き来する長旅の際、松本藩主や幕府の役人が滞在した屋敷のこと。2340平米の敷地に、母屋や蔵、離れがあり、藩主らを迎えるのにふさわしい豪華な仕様になっている。だが、この古民家も長年空き家となり存続の危機にさらされていた。改修工事は地元の経験豊富な大工らに依頼し行った。断熱材も必要以上に入れることはせず、建築の姿形を守ることを重視している。「寒さは暖房器具でもしのげます。それに、ゲスト用のはんてんを羽織れば、信州の冬をよりリアルに感じられるかもしれない。古民家だからできる体験を通して、ゲストの五感だけでなく六感にもゆさぶりをかけたいんです」
齊藤がもうひとつ大切にしているのは、古民家を土地からの“預かりもの”と考えること。日本には、あらゆるものに神が宿る“八百万の神”という教えがあるが、古民家にも守り神がいるような特別な空気を感じているそうだ。
「初めて古民家再生を手がけたのは2007年。松本城からも近い歴史ある建物で、改修して〈レストラン ヒカリヤ〉を始めました。でもその建物は、オープンから一年経っても、どこかよそよそしい。なぜだろう?と考えた時に、“古民家は土地のもの、僕らはそれを使わせてもらっているだけなんだ”と気づいたんです。以後、宿でもレストランでも、月に一度スタッフ全員で建物に感謝を伝える時間を設けるようにしています」
古民家は松本という土地が育んだもの。だからこそ、宿から生まれる利益は地域にも還元したい。宿では、ほぼすべての食材を地元農家から仕入れている。「明神館はルレ・エ・シャトーの加盟旅館ですが、そのルレ・エ・シャトーの信条のひとつが“生産者に対して真摯に誠実な態度を示す”こと。」正当な価格で仕入れをし、健全な関係性を築く。これは、私たちが以前から大切にしていることです」。
スタッフも地域の人々を積極的に雇用。〈DEN〉では来春からハーブとイチゴの栽培をスタートさせるが、農場を就労継続支援B型事業所として申請。地元の障がいを持った人々に農業を通じて社会に参画できる機会を提供する。
「宿泊業にはさまざまな要素があり、そのひとつひとつで、地域と繋がることができます」と齊藤。前述した食の仕入れや雇用はもちろん、場を提供してコミュニティを活性化することもできる。〈Satoyama villa本陣〉にカフェを併設したのも、そうした狙い。地域の人も利用できる空間をつくれば、海外のゲストと地元の人々の交流の場にもなる。
「共に豊かになる、というのは今世界が取り組んでいるSDGsの根幹となる考え。地域の人々と一緒に、松本の付加価値を育んでいく。それをリードしていくのがこれからの宿の役割ではないでしょうか」