April 10, 2023
【三菱地所】融合と連携によって丸の内に新しい価値を育てる
丸の内と言えば、東京の中心地にある誰もが知っているビジネス街だ。しかし、一世紀以上前は広大な荒れ野だったことを知る人は少ないかもしれない。
日本の正面玄関である東京駅と皇居を結ぶ場所に位置する丸の内。その歴史は1890年、当時の陸軍省が保有する35万平方メートルの軍用地を明治政府が払下げ、三菱グループが購入を決めたことから始まる。ロンドンやニューヨークに匹敵するような日本初のビジネス街を建設するためである。
「これからの日本をリードするようなオフィス街をつくろうということだった。ただ、街はつくって終わりではなく、住む人、働く人、訪れる人、遊びに来る人を含め、歴史と共に育てあげていくという要素がある」と三菱地所社長の吉田淳一は話す。
日本の大手不動産である三菱地所は、丸の内や隣接する大手町と有楽町に約30棟のビルを保有している。
より良い街に育てあげていくためには、行政を巻き込みながら土地権利者やその他の関係者と連携をすることが大事だという。「それを過去からずっとやっている」と吉田は話す。
日本経済が高度成長に向かい始めた1950年代、三菱地所は丸の内地区の大型開発プロジェクトを開始した。老朽化した30棟のビルを区画ごとにまとめて10年間で13棟の大型ビルを建設するという内容だ。時を同じくして、東京駅の北側や、赤坂、青山、池袋、横浜のみなとみらい地区に再開発区域を拡大させていった。1970年代の半ばには、丸の内は世界でも有数のビジネスセンターとして繁栄するまでになった。
1990年代に入ると、丸の内の代表的なビル群は再び老朽化対策が必要になった。三菱地所は、こうしたビルを建て替えるだけではなく、そこに働く人々、住む人々、買物を楽しむ人々、観光に訪れる人々と共に楽しめる新しいビジネス街をつくりだす計画を立てる。中でも、2002年には丸の内を代表する31メートルの丸ビルを180メートルの高層ビルに建て替え、以前からあったオフィス部分に加えてショッピング、レストラン、インターアクティブ・ゾーンを整備した。これを皮切りに三菱地所は、新丸ビルや丸の内オアゾ等のビル建設にも着手した。2007年にペニンシュラ東京がオープンし、丸の内の店舗数と休日の歩行者数は、丸ビルを建て替える前と比べると2018年には3倍以上に急増した。
街やコミュニティをつくることは、地権者などの利害が複雑なため容易なことではない。そういった状況の中で、一番大切なことは次世代に何を引き継ぐことができるのかを考えることだと吉田は話す。
「今後、自分達が世代を継いでいく上で後世に残すものをしっかり議論することによって、地域ごとの特徴をどのようにより深化させるか。そういう議論をしていく必要があると思う」と吉田は言う。その際に必要なのは、行政がリード役を果たすことだと言う。
丸の内地域(大手町・丸の内・有楽町)に関して言えば、日本を代表する街でなければいけないという共通する要素がある。しかし、それぞれのエリアの特徴も大事にしないといけないと吉田は話す。
例えば、大手町は歴史的に日本の金融街としての役割を果たしてきた。日本のメガバンクの本店はすべて丸の内に集まっている。スタートアップに関しても、フィンテックによる会員組織の「フィノラボ」という施設がある。東京都は、日本橋や兜町と並んで丸の内を国際金融拠点の一つとして位置づけている。
一方で丸の内に関しては、日本の正面玄関としての役割があると吉田は言う。だからこそ、JR東日本は2012年に東京駅を立て直した際に、歴史的建造物であった旧駅舎を復元した。さらに、丸の内には日本をリードする大企業の本拠地としての役割もある。
それと比べると、有楽町はより文化的な意味合いが強い。銀座や日比谷に近いという立地の特徴もあるが、東京国際フォーラムや帝国劇場が隣接しているということもある。「文化、エンタメ、芸術が歴史的にも要素としてあるので、そういうものをビジネス街だけということだけでなく、アーティスを含めてビジネスパーソン以外も来ていただきやすい街に育てていくのが有楽町だ」と吉田は話す。
三菱地所は、丸の内エリアでのデジタル技術の活用も視野に入れている。例えば、丸の内でアプリなどを起動させると、訪問者の位置情報や決済情報を分析し、行動パターンなどに沿って必要な情報を提供できるような可能性を探っている。それは、三菱地所が提供しているサービスだけでなく、他のホテル、商業施設、イベントなど訪問者の興味に従って情報にアクセスできるようになるかもしれないという。「最先端の街の機能や楽しさは常に求めていかないといけないと思っている」と吉田は話す。
ブランド・スローガンである「人を、想う力。街を、想う力。」に「地球を、想う力。」という言葉も併せて、コミュニティを育てながら新しい価値を創造するのに必要なのは人々の融合と連携だと吉田は言う。三菱地所はこのエリアの再開発や街の管理運営のために地権者から成る協議会との連携を進めてきた。イベント企画に関しては、ぴあと提携している。東京大学、東京医科歯科大学、東京藝術大学といった大学とも連携し、イベントを企画している。芸大とは16年前から、音楽、アート、彫刻のイベントを丸ビルで開催している。さらに、ゴールデンウィークには丸の内エリアの各所でプロの演奏家や芸大学生による無料クラシックコンサートを実施している。
また社内では、4年前に柱や壁がないフロアをつくり、従業員同士の交流や外部との連携を促進し、新規事業の提案制度も設けている。
大手町や有楽町を含む丸の内エリアは、日本の表玄関としての役割を今後も果たしてもらいたいと吉田は話す。「(ニューヨークの)5番街や(ロンドンの)ボンド・ストリートのように、世界の人が皆知っているようなエリアに育ってくれたらいいなと考えている。その上で、ここに寄ったら面白い、新しい情報が得られると丸の内が思ってもらえるようになればいいと思う」と吉田は話す。
創意工夫で未来を創る
Naonori Kimura
Industrial Growth Platform Inc. (IGPI) Partner
明治政府からの要請を受け、1890年より丸の内一帯の開発に着手した三菱地所は、その後の130年の歩みの中で、丸の内エリア(丸の内・大手町・有楽町)を世界有数のビジネスセンターを築き上げてこられた。とりわけ、「人を、想う力。街を、想う力。」をブランドスローガンに掲げ、そこで暮らす人々、働く人々に想いをはせ、長期的な目線で事業を推進してきた。近年においては「地球を、想う力。」も加え、社会の根幹である地球にまで想いをはせた経営に取り組んでいる。「全くのゼロから街を創るためには、色々な創意工夫が必要であり、それこそが当社の使命感だ」との吉田社長の強い言葉に、根底に流れるイノベーションに果敢に挑み続けるスピリットを感じた。もう一つの要素として、最適解を求める上では様々なパートナーとの連携を積極的に推し進めている。こうした連携が非常にうまく機能する背景には、当社の長期目線でのビジョンが強い求心力となっているのは間違いないだろう。これからも創意工夫による新しい価値がどんどん生まれ、より一層魅力的な人・街・地球を形づくって行くことこそ、三菱地所のサステナブル経営である。