July 11, 2023
【ポピンズ】企業成長の力の源泉は働く女性を支援すること
ポピンズが創業した36年前、日本社会での女性差別は今より露骨だった。そして職場でも男女平等の意識が確立されているわけではなかった。
「私達のミッションは36年間変わらず、『働く女性の支援』です」とポピンズの轟麻衣子社長は経営共創基盤の木村尚敬パートナーとのインタビューで語った。
「社会課題を解決するということが私達の成長のエンジンとなっているのです」
ポピンズは日本で初めて「ナニー」を家庭に派遣するサービスを始めた。それは1985年に男女雇用機会均等法が施行されてから2年後のことだった。ナニーとは、単に保育サービスだけではなく、ポピンズが「エデュケア」と呼ぶ教育と保育を融合させたサービスの提供を可能にする人材だ。ポピンズはその後事業領域を拡大し、現在、全国で2万7000世帯がポピンズのナニー、ベビーシッター、介護サービス、学童、保育所を利用している。その世帯数は過去5年間で2倍以上に増加した。
とはいえ日本の男女格差の現状はいまだに厳しい。世界経済フォーラムが発表した「Global Gender Gap Report」(世界男女格差報告書)によると、2022年の日本のジェンダーギャップ指数は146カ国中116位で、主要7カ国(G7)の中では最下位だ。
創業者であり現在は会長を務める轟の母、中村紀子氏がポピンズを起業したのは、テレビ朝日のアナウンサー職を辞めたあとに抱いた、一つの根本的な疑問だった。1985年に彼女はJAFE (日本女性エグゼクティブ協会)という女性管理職の組織を立ち上げていた。メンバーの半数以上は未婚であり、子供がいる女性は3割にも満たなかった。中村氏は仕事の成功と家庭の両立が難しいのは何故なのかという疑問を抱いた。
2年後、中村氏はポピンズを立ち上げる。それはちょうど彼女自身が働きながら育児をするという問題に直面したからだ。当時から今でも続いている問題は、この国のシステムはフリーランスや派遣社員に優しくないことだ。6歳児までの保育制度は、フルタイムで働く女性が子供を預ける保育園と、主に専業主婦のための幼稚園という2種類に大きく分けられる。しかし、中村氏はフリーランスであったために労働時間が流動的で、保育園には預けることができない上に、幼稚園が預かるのは午前中が中心だ。さらに当時信頼できるベビーシッターを見つけることは容易ではなく、子供が幼い間は母親が育てるべきだという社会的圧力もあった。ベビーシッターは見つけられたとしても訓練を受けておらず質が高くはなかった。そこで中村氏はエデュケアを提供できるナニーの養成と派遣を始め、サービスの質の向上に努めた。
ポピンズの歴史は、厚生労働省が監督する厳しい規制に対する中村氏の闘いの歴史でもあった。例えば、かつて保育園は地方自治体か社会福祉法人による運営でなければ国の認可を得ることができなかった。認可保育園は政府や自治体の補助金が交付されるが、そうでない認可外保育園の保育料は高くなる傾向がある。中村氏は厚生労働省に日参し、認可外保育園を運営しながら同時に認可を取得できるように規制緩和を求めた。ついに2000年、株式会社も保育園の認可を取得することが認められた。
一方で、ポピンズは就学前の幼児へのエデュケア・サービスに注力するとともに介護サービス事業にも参入した。日本では女性は子育てが終わると、次に老親の介護を担わなければならないケースが多いからだ。中村氏は自身の父親が脳梗塞に倒れた時、このシルバーケア事業を立ち上げた。
「女性は子育てのあとに介護がくる。両方解決策があるべきだと考えました。われわれが当事者として抱えていた課題が、社会の課題につながり事業として広がっていきました」
「母を見ていると、先見の明があったのだと思います。30年前は働くことさえ普通じゃなかった。そんな中、母は女性が働き続けるために何が必要か考え続けたのです」と中村氏の後継社長として2018年に社長を引き継いだ轟氏は話した。
さらに轟氏は続ける。ポピンズは創業時にNPOとして運営する選択肢もあった。その方が運営は楽だったかもしれない。しかし、株式会社として創業したほうが持続可能な事業を展開できると中村氏は考えたというのだ。
ポピンズは創業以来、保育サービスの質を向上することを追求してきた。それは、保育はサービス業であり福祉ではない、したがって寄付に頼るべきではないという信念があったためだ。それが理由でNPOの運営より困難が伴う株式会社を設立し、サービスの質により企業価値が判断される道を選んだ。
その目的を達成するためにポピンズが注力したのは、ナニー、ベビーシッター、介護スタッフを採用する際に単にスキルだけではなく、人格、人間性、経験をチェックしたことだ。
「私達はお子様や高齢者の命を預かるので、そこに対してのリスクのマインドセット、ホスピタリティ、マナー、言葉遣いのような、通常は介護では問われない点まで細かく基準として見ています」と轟氏は言う。
創業時から中村氏は日本だけではなく、グローバルな視野を持っていたという。それは現在社長を務める轟氏の経歴にも影響している。彼女は12歳で英国の全寮制の私立学校に入学し、ロンドン大学キングスカレッジを卒業したあと、INSEADでMBAを取得している。その後、英国、フランスの企業で働いた経験を持つ。
2015年にポピンズはハーバード大学と共同研究を始め、子供が世界で活躍するために非認知能力をどのように引き出すかについて研究を進めている。その研究結果は、自社が開催する国際乳幼児教育シンポジウムで毎年発表している。
さらに、ポピンズは保育サービスや教育事業でビジネスを拡大させている。例えば、オリンピックの選手村跡地である東京都中央区の晴海フラッグに、合計約350名を定員とする大型保育園を2園、2024年4月に開園予定である。今後は2026年の4月までに、駅前大規模開発エリアにさらに2つの保育園を開園する予定だ。
また、ポピンズを中心とした大手保育企業6社からなる「保育の未来を創る会」では、小倉少子化担当大臣へ「異次元の少子化対策」に対して提言を行い、そのうちのひとつ、常勤保育士の定義が「1日6時間以上月20日」から「月120時間以上」に改定されました。これにより、「4日制勤務」の実現など保育士が多様な働き方ができるようになり、全国に100万人いると言われている潜在保育士の掘り起こしが期待できます。
「女性が輝くと、社会が輝き世界が変わる。そういうことを世界の一つの変革として残していきたいと思っています」と轟氏は話す。
Naonori Kimura
Industrial Growth Platform Inc. (IGPI) Partner
“働く女性の支援”を原点に、社会課題解決に真正面から対峙
1987年設立の当社は、“働く女性の支援”をミッションとして掲げ、創業以来事業成長を成し遂げてきた。チャイルドケアやエデュケア、シルバーケアといった事業領域は、まさにパーパスのために生まれた事業であり、設立当初から社会課題解決を念頭に置いた経営スタイルこそ、サステナブル経営の根幹そのものである。これらの領域は当時まだ市場規模は小さく事業としては魅力的ではなかったはずだが、創業者の強い信念のもと、市場そのものを創り上げてきたと言っても過言ではない。経営戦略の柱は、①働く女性のサポート、②クオリティ、③利益成長の3つの和である。特に質への強いこだわりを持ち、「目の前のお客様をいかに感動させるか」こそ当社の競争力の源泉だ、と轟社長は力強く言い切る。近年では、最高水準のエデュケアを目指しハーバード大との共同研究の実施や、また大型商業施設とのコラボレーションの展開など、事業進化へ向け様々な取り組みも行っている。社会の多様化が益々進んでいく中、ミッションドリブンの当社は、これからも様々な社会課題解決に取り組み、サステナブルな経営、サステナブルな社会を築いていかれることであろう。