February 25, 2022
【明治村】移築され今も残る、帝国ホテル・ライト館を訪ねる。
明治村/帝国ホテル中央玄関
フランク・ロイド・ライトが帝国ホテル支配人・林愛作に依頼されて設計。1923年竣工。国指定重要文化財。
愛知県犬山市内山1番地
TEL:0568-67-0314
Opening Hours 10:00~16:00
開村時間 10:00~16:00(季節による。要事前確認)不定休につき要事前確認。
入村料2000円。
https://www.meijimura.com/
愛知県犬山市の郊外、自然豊かな丘陵地にある<博物館明治村>。取り壊される運命にあった明治期を中心とした建造物を移築、保存展示する敷地約100万㎡の野外博物館である。初代館長の建築家・谷口吉郎が<鹿鳴館>の解体に心傷め、明治建築の保存活用を訴え続けるなか、名古屋鉄道の経営にあたっていた同窓の土川元夫の協力を得て1965年に開村した。移築・復原された建造物は64を数える。広大な村内を最北まで進むと、荘厳な構えの建築物に遭遇する。かつて日比谷にあったフランク・ロイド・ライト設計の<帝国ホテル中央玄関>である。部分保存にも関わらず、その堂々とした姿は完結した作品の風情だ。移築前は左右に客室群が連なり、背後に宴会場や劇場がそびえていたはずである。
帝国ホテルが明治村に移築されると決まったのは1967年。この時すでに客室部分から解体は始まっており、中央玄関部分のみ保存対象となった。ただし鉄筋コンクリート造ゆえ部材を分解しての移築保存は困難で、空間の質や寸法体系を保存する「様式保存」が採用された。1976年に外観が完成、後に内部をつくり、展示公開は1985年。延べ18年が費やされた。<博物館明治村>の学芸員・中野裕子氏は「主たる財源は入場料収入で、その累積以上の経費は使えないためでもあった」と説明する。時の首相の後押しを得ての保存判断でありながら、政府の補助は1000万円程度だったという。
難しい局面を乗り越えつつ人々を保存へと向かわせたのは、ライトが桁外れの情熱をかけ生み出した空間による。大きな池を通り館内へ入り、赤い絨毯敷きの階段を上ると、3階まで吹き抜けたロビーが広がる。複雑に装飾された“光の籠柱”は天井高くまで優しい灯りを宿し、室内は壁のないつくりにより奥行きまで窺える。太陽が移ろうと室内に落ちる光は生きもののように変化し、どの瞬間も美しい。多様なディテールが共鳴し、融合し、圧倒的な雰囲気を醸し出すこの空間に身を置けば、当時を生きた人々を羨まずにはいられない。現在、館内では今は無き空間もVR映像で再現されている。見れば想いはさらに募る。
日比谷にあったライト建築で実際に使われていた部材も、わずかに再利用されている。車寄せやロビーなどの柱に用いられている大谷石やすだれ煉瓦である。建物の脇にひっそり展示される大谷石のオリジナル部材は角が取れシミが広がる。加工のしやすさから大谷石はライトに重宝されたが、劣化の速さが命取りとなった。復元では大谷石の一部をコンクリートや擬石で代用し、テラコッタを樹脂製で代用するなど新素材も試みられた。
ライトはこの建築について多くを語っていない。左右対称の配置は平等院鳳凰堂から発想を得たとされるが、これも彼の行動履歴からの推察である。マヤ文明の文様がモチーフではないか、“光の籠柱”は行燈を模したのではないか、いやインド風だ、メキシコ風だと人々は饒舌に解釈する。「見る人のバックグラウンドで見え方が変わり、季節や時間、居場所によっても常に発見がある。出会いは一期一会。それぞれの中に “自分だけの帝国ホテル”がある」と、中野氏は目を細める。
現在は、散策に訪れる人々を穏やかに迎え入れる≪帝国ホテル中央玄関≫。東京を代表する迎賓施設としての使命はとうに終え、明治村で重ねた年月は日比谷の44年間に迫る。不朽の豊かさを今に伝えながら、同じ人間のつくるものでも可能から不可能になるものがあるのかと、静かな問いを発しているようである。