February 25, 2022
【自由学園明日館】貴重な文化財を、使いながら保存する「動態保存」。その日本第一号案件となったライト建築を訪ねる。
自由学園明日館
フランク・ロイド・ライトが日本滞在中、羽仁夫妻の創立した女学校の校舎として設計。共同設計者は遠藤新。1925年竣工。国指定重要文化財。
●東京都豊島区西池袋2-31-3
TEL:03-3971-7535
開館時間10:00~16:00(夜間見学日あり)毎週月曜休。
不定休有、要事前確認。
見学料500円。
https://www.jiyu.jp/
再開発が進み新しい高層ビルが立ち並ぶ、東京・池袋。賑やかなターミナル駅から徒歩数分、第二次世界大戦の戦火を逃れて昔ながらの面影を残す住宅地に<自由学園明日館>はたたずむ。ほぼ完全な形で現存するフランク・ロイドライト設計の建築のひとつだ。創立は101年前、大正デモクラシーの時代である。
自由学園は、雑誌『婦人之友』創設者の羽仁もと子・吉一夫妻が三女の進学を機に創立した女学校である。知識の詰め込みではなく「新時代の女性に必要な教育を為す」と掲げ、雑誌に生徒募集の告知を出してゼロから立ち上げた。校舎の設計は友人の遠藤新から紹介されたライトに依頼し、教育理念に賛同したライトは快諾。帝国ホテルで設計助手だった遠藤を共同設計者として計画を進めた。現場は類希なる速さで進み、1921年1月に契約、2月に設計確定、3月に工事開始、4月15日には未完の校舎に26人の女子生徒が集められ開校式を行った。
「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という夫妻の願いを基調に、ライトは設計に臨んだ。のどかな田園風景に、軒高を抑え水平に伸びる「プレイリースタイル」の校舎はよく馴染み、大草原に建つひとつの大きな家のようにも見える。教室群は明るい前庭を囲んだコの字型で、玄関は4つ。教師も生徒も自由に出入りできた。当時の日本の権威的な学校建築とは真逆のつくりである。生徒たちはここで自治的で家族的な生活を営み、自ら考える力を養った。中央ホールは低く抑えられた天井から一気に高くなり、光に満ちた吹き抜けを見上げると解き放たれる。また、建設現場を見て食堂の天井が高すぎると気づいたライトは、座った時の居心地を考えた照明を一晩で設計したという。天井高や彩光、床の段差のリズムなど、豊かな空間体験をもたらす緻密なディテールが随所に散りばめられている。
実は、ライトはこの校舎の完成を見ていない。帝国ホテルの設計を事実上解雇されて日本を離れ、その後は遠藤に一任したのだ。当時32歳にして信頼を得ていた遠藤は、計画を引き継ぎ1925年に校舎を完成させ、1927年には講堂を設計した。自由学園はライトと遠藤の合作といっても過言ではない。
学園の規模拡大によりキャンパスが東京の郊外、東久留米に移転後、この校舎は「明日館」と名付けられて卒業生の活動拠点となった。しかし、日本の風土に合わなかった建物は老朽化が進んだ。解体の危機に瀕し、ニューヨークタイムズに保存広告が掲載されたこともあったという。そうした中、学園は「重要文化財となり使用できずに保存されるのは賛成しかねる」との態度を貫いた。長い議論の末、建築を使いながら保存する「動態保存」が日本で初めて認められ、1997年に重要文化財に指定。3年の保存改修工事を経て、2001年に動態保存を開始した。
現在も<自由学園明日館>は、見学会や展示会、結婚式などで市民に広く利用されている。施設貸出は年間1200件にのぼり、その収益で維持管理される。無論、使えば傷むというリスクはある。そこで立ち戻るのは、竣工時にライトが贈った言葉である。「生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも見えます。木も花も本来一つ。そのように、校舎も生徒もまた一つに」。使い手あってこその、建築ではないか。人々の営みも空間も形骸化することなく真に生かされるようにとの願いを孕み、<自由学園明日館>は変わりゆく街並みを見上げ続ける。