August 26, 2022
坂 茂は、なぜ被災者・難民支援に取り組んだのか?
坂 茂はこれまでに世界各地で被災者や難民の支援活動を行なってきた。その始まりは1994年にまで遡る。坂は週刊誌の写真記事でルワンダ内戦によって発生した難民の窮境を知る。国連から支給されたシェルターが不分で風雨を凌げず、寒さに震える難民たち。住環境が劣悪では医療支援を行なっても意味がない。そう考えた坂は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に手紙を書いた。
「返事は来ませんでした。そこでジュネーブのUNHCR本部にアポ無しで行ったのですが、運良くシェルター担当のドイツ人建築家と会うことができました。彼は最初、私のことをテント・メーカーの営業マンだと思ったそうです。彼は僕が提案した紙管を使ったシェルターのシステムに興味を持ってくれて、そこから新しいシェルターの開発が始まりました」
当時UNHCRはシェルター用のプラスティック・シートだけを難民に配布していた。しかし200万人を超える難民がシェルターのフレーム材に使う樹木を伐採したため、大規模な森林破壊が発生した。そこでアルミのパイプを配布したが、アルミは換金性が高いので、すぐに売られてしまい、伐採は止まらなかった。坂が提案し紙管パイプの構造なら値段も安く、塩化ビニールパイプのような廃棄後のゴミの問題も起きない。UNHCRとコンサルタント契約を結んだ坂は、スイスの家具メーカーの協力を得てプロトタイプを作成。実験を重ね99年には実用化された。
坂は1980年代から紙管を構造材とした「紙の建築」を手掛けてきた。その中で蓄積されたノウハウは、被災地の仮設住宅にも生かされている。例えば紙管を丸太材のように使って建てる「紙のログハウス」は1995年の阪神淡路大震災のときに考案され、その後、1999年にトルコ北西部で起きたイズミット地震と2001年のインド西部地震でも建設された。トルコとインドでは、被災地の生活習慣や気候に合わせて細かな変更や改良が施されている。途上国で仮設住宅を作る場合は、現地で簡単に入手できる材料を使い、安価で早くできることも重要だ。台風被害を受けたフィリピンのセブ島、ネパール地震やエクアドル地震の被災地では、紙管や木材の構造と現地の材料を併用して、バリエーション豊かな仮設住宅や復興住宅を建設した。
より規模の大きな「紙の建築」による復興支援としては、<ラクイラ仮設音楽ホール>(イタリア)と<紙のカテドラル>(ニュージーランド)がある。2009年にイタリア中部で起きたラクイラ地震の際に、現地を訪れた坂は地震で地元のオーケストラや音楽院の学生の演奏場所が失われたことを知り、市長に仮設ホールの建設を提案した。市長からの解答は「敷地は用意するので、資金をそちらで集めてほしい」というものだった。坂が設計と資金集めを進める過程で日本大使館からの資金集めの援助もあり、2011年に仮設ホールが完成した。座席数250と規模こそ小さいが、フランスの音響コンサルタントがボランティアで協力し、音響的には本格的な仕様となっている。また通常音楽ホールの遮音壁は鉄筋コンクリートだが、この建物では解体時の資材のリサイクルを考えて、軽量鉄骨のフレームの中に砂袋を詰め、外側をカーテンで覆う仕様にしている。
いっぽう「紙のカテドラル」は2011年2月の大地震で倒壊したクライストチャーチの大聖堂の代替として紙管を用いた仮設建築で再建するプロジェクトだ。
「大聖堂のようなモニュメンタルな建築物を本格的に再建する場合は、多くの意見があってなかなか先に進みません。クライストチャーチの大聖堂も現在でも倒壊した状態のままです。しかし仮設であれば、合意を得るのは比較的簡単です。緊急時には早く作ることが重要ですし、駄目なら撤去すればよいわけです。もちろん仮設でも現行の法規に従って建てるのでパーマネントに使えるし、美しいデザインであることも大切です」と坂は語る。
2013年に完成したカテドラルは三角形のローズウィンドウをファサードに配した美しい建物。正面から見た正三角の形状など各部のプロポーションは、元の大聖堂が持つ比率を尊重して決められている。完成後は教会のセレモニー以外にコンサートやパーティなどの市民のイヴェントにも利用され、町の復興を象徴する新しいモニュメントとなっている。