October 28, 2022
世界的な医療研究財団<ウェルカム・トラスト>が選んだアーティスト、飯山由貴とは誰か?
飯山由貴
1988年神奈川県生まれ。代表作に、精神的な障害を持つ飯山の妹の幻聴や幻覚を出発点に制作した作品「海の観音さまに会いにいく」(2014)など。過去の記録物や人への取材を手がかりに、社会と個人の影響や関係に関心を持ちながら映像やインスタレーション作品を制作している。「東京都人権プラザ」(東京都港区)で企画展、飯山由貴『あなたの本当の家を探しにいく』が11月30日まで開催中。
<ウェルカム・トラスト>は、イギリス・ロンドンに本拠地を置く、医学への研究支援を行う公益信託団体。世界で初めて錠剤薬を販売し莫大な富を築いたアメリカ出身の製薬長者、サー・ヘンリー・ウェルカムの財産を管理するために1936年に設立されたものだ。近年では健康やウェルビーイングに関する研究を支援し、特にメンタルヘルスの課題に取り組んでいる。
そのウェルカム・トラストが今行っている国際文化プログラムが「マインドスケープス」だ。この取り組みは、アートを通じてメンタルヘルスに対する社会の理解・対処を促すことで、美術館や文化施設、NGOなどが国際的に協力し、アートがいかにこの問題に対し新しい視点を提供できるかを探る試みである。具体的には、世界4都市(東京・ニューヨーク・ベルリン・ベンガルール)でアーティストがメンタルヘルスをテーマに作品を制作し展示公開する。またそれと同時に、メンタルヘルスに関するリサーチやワークショップ、パブリックプログラムが行われるというものだ。
その「マインドスケープス」の、東京代表としてレジデント・アーティストに選ばれたのが、アーティストの飯山由貴だ。彼女は「マインドスケープス」の一環として制作されたドメスティックバイオレンスに関する作品を森美術館で展示している(『地球がまわる音を聴く:パンデミック以降のウェルビーイング』~2022年11月6日まで)。今や世界で4人にひとりが何らかのメンタルヘルス上の問題を抱えていると言われ、コロナ禍で世界的に人の心の健康が問題視されるなか、その作品制作について、飯山由貴に聞いた。
「今回展示している作品は私の経験、パートナーから精神的な暴力、別の言葉で言えばモラル・ハラスメントを受けたことをきっかけ制作しています。私はパートナーとの関係で苦しさを感じたり、対話がうまくいかないことに悩みカウンセリングに通ったことがきっかけでそれがDVであることに気がつきました。例えばコロナ禍で家庭にいる時間が増え、世界中でDVが増えたと言われていますが、では被害者、加害者はどうやってそれに対処すればよいのでしょうか?日本でもその事実だけは報道されているけれどもそれに留まり、困っている人への対処方法やその支援の実態、現在の法律の問題点までは言及しない。そこでこの作品では加害者、被害者、支援者のインタビューと共に、東京のDV支援に関する情報と、DVが起きる構造を学ぶことができる配布物を作成しました」。
飯山の森美術館での展示作品のひとつ、《家父長制を食べる》(2022)は、一度見たら忘れることのできない、とてもインパクトがある映像作品だ。飯山自身が映像に登場し、男性の姿をしたパンをつくり最後にそれを食べるというものだが「傷つき」の表現として、またセクシャルに見せない演出として、頭を丸刈りにして作品制作に臨んだという。また時折、飯山の嗚咽など傷ましい鳴き声も映像に含まれる。
「美術館と事前に協議したのが、私の作品を見ることによって展示室で体調が悪くなった方に、何を準備しておけるのかということでした。DVをなくすことでジェンダー平等社会をめざす市民活動団体「アウェア」に協力を得てDVについての勉強会を関係者で行い、会場スタッフにはどんな案内をしてもらうかなどを考えました。具体的には、森美術館の場合は休憩室があるので、具合が悪くなった方がいらしたら、体にはふれずにお声がけだけをし、誘導するというようなことです。また、観客が自分自身の経験や感想などのコメントを書き残していき、それを展示期間中に随時掲示していくシステムを用意しています。それによって観客同士の議論が擬似的に行われているのが興味深いです」。
人間ひとりひとりの、心の痛みやその経験を他人に伝えることは容易ではない。でもアート作品として展示・公開することで、多くの人がその痛みに共感したり、それをきっかけに連帯したりすることができるだろう。飯山由貴の作品はそんな可能性を秘めている。オークションなどでは人気作家のアート作品に高値が付き、アートマーケットの過熱ぶりが増す昨今ではあるが、それとはまた一味違うアーティストの取り組みに、注目したい。