December 16, 2022
モロッコ大使が語る、細部に宿る日本デザインの奥深さ。
リチャード・ブフラール大使
1951年8月26日、モロッコ王国の首都ラバトで生まれる。1976年、モロッコ外務貿易省入省。以来40年以上にわたり、外務貿易省の事務局長や内閣総理大臣顧問など政府の役職を歴任する。1996年に駐ベルギー兼ルクセンブルグ大使、2004年から 2011年まで駐ドイツ大使、また現職である駐日本大使に就任する前は、2016年まで駐米大使を務めた。 彼は熱心なゴルファーであり、パイロットでもある。
モロッコ王国は、1956年のフランスからの独立直後に日本との外交関係を樹立した、国王モハメッド6世のもと3,700万人が暮らすイスラム国家だ。自動車産業などの日本企業も進出し、多くのモロッコの人たちを雇用している。そんなモロッコと日本の架け橋である駐日モロッコ大使リチャード・ブフラール氏の公邸は、東京・市谷の小高い丘の上にある。そこは高級感ある集合住宅で、公邸がある階でエレベーターを降りると、エレベーターホールには調度品や独特のお香の香りが漂い、まるでモロッコに来たかのような錯覚を覚える。
エントランスで靴を脱ぎ、メインルームに入ると、その中央には大きなブルゴーニュ色のソファが置かれている。裕に10人は楽に座われそうな大きさだ。大きな窓ガラスに印刷されたアーチの模様を通して東京のスカイラインを眺めると、急に東京に引き戻され、一瞬自分の居場所がどこなのか疑ってしまう。
「今、あなたはモロッコに入りました。モロッコの領土にいるんですよ」と大使は笑顔で出迎えてくれた。「モロッコでは、このような部屋はゲスト用の居間であり、ダイニングルームであり、テーブルとスツールをいくつか持ってくるだけで、寝室にもなります。このソファで、大人4人が寝ることもできますよ。伝統的に、特に結婚式や大きなイベントなどで家族やゲストを迎えるときは、ホテルには泊まらず、親しい者同士が毛布を敷いて3、4人がカーペットの上で寝ます。夜遅くまで語り、笑い、それはとても楽しい時間です」。
実際私たちの取材もこのソファで行われ、多くの笑いがあった。聞いた話のなかで印象的だったのが、大使が日本や日本人をより深く理解したいと願い、“本物”の日本を経験するため、日本中を旅していることだ。実際、ブフラル大使は2016年に大使に任命されて以来、日本の半分以上の都道府県を訪れているという。また紹介者がいないと探せないような店、例えば小料理屋などにも行くという。
「小料理屋とは1人か2人の年配の女性によって運営されている、地元の常連客しか行かないようなお店です。店には日本人だけがいて、床に直に座って食べていたりします。店によっては長いテーブルが1つあるだけで、あなたがそこを訪れたら、毎日来ているようなお客さんたちと一緒に料理を食べるたりするんですよ」。
彼はそのような店を訪れた際、日本とモロッコの食事の共通点に気づいたという。床に直に座る以外にも例えば、日本では食事の前に濡れたタオルを使って手を綺麗にするが、モロッコのレストランでは、誰かが水の入ったピッチャーや石鹸、食事前に手を洗うための洗面器を持って歩き回るのが一般的だ。食事の前に手を清潔にする、という文化的な共通点を発見したのだという。
彼はこのような体験から日本文化を学んできたが、同時にMade in Japanの物からもたくさんの気づきを得るという。例えば、伝統的な日本の急須の持ち手。それが注ぎ口の真向かいではなく、急須の側面に配置されていることを指摘する。
「ティーポットの持ち手が横に、特定の角度を付けて付いている。私はその背後にあるものは何かをよく考えます。このようなディテールには、使い手が便利に使うということだけでなく、製品をデザイン的に完璧なものに近づけるための細かい改善や探求を常にしていることがわかります。大使として私は、日本人の日常生活の中にある細部への関心、継続的な改善の追求・探求、そんな伝統的な日本の職人技を支える考え方に共感を覚えます」。
このような理由から、大使は自国の友人・知人にお茶のセットや酒器を贈り物としてプレゼントすることがよくあるという。日本と同様、モロッコでも緑茶が広く飲まれている(モロッコ人はミントとおそらく砂糖を少々加える)。銀とガラスの茶器を使う点は日本と異なるが、お茶を飲むという文化・伝統は共通のため、喜ばれるという。