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アイヌ文化の歴史と現在を知っていますか?

November 29, 2021

ライター:塚田有那

阿寒湖アイヌシアター<イコロ>で上演されている、阿寒ユーカラ「ロストカムイ」。アイヌ古式舞踏×現代舞踏×デジタルアートを駆使したプログラムは、阿寒アイヌコタンまで足を運んで現地で観るしかない。
映像は<WOW>、舞踊の振り付けはUNO、サウンドデザインにKuniyuki Takahashi、フォトグラファーにヨシダナギが参加。世界的に活躍するクリエイターが集結して生まれた舞台なのだ。
©Nagi Yoshida

日本列島の北方地域、主に北海道を中心とするエリアには、アイヌという先住民族が暮らしてきた。その起源は定かではなく、諸説あるがおよそ9〜13世紀頃にアイヌ文化が成立したと言われるほど、長きにわたる歴史と文化を持つ民族だ。アイヌは日本語とは異なる言語体系を持ち、人間の周りに存在するさまざまな生き物や事象を「カムイ(Kamuy/神)」として敬うなど、独自の信仰や精神文化を切り開いていった。北方の厳しい自然環境を生き抜いてきたアイヌは、クマやシカ、サケやアザラシなどを中心に狩猟や漁猟を行い、山菜を採取し、動物の毛皮や木や草の繊維などからさまざまな衣服をつくっていた。またアイヌは樺太や千島列島など広範囲に分布して暮らしており、どの集落も周辺地域のさまざまな民族と交易を展開して生計を立てていた。クマやラッコなどの獣の皮、昆布や干し鱈などの乾物、また美しい刺繍や木彫りが施された工芸品などといったアイヌの生産品は、日本を中心に各地で取り引きされていった。

しかし、時は1603年、日本では戦国時代が終焉を迎え、徳川幕府が全国を統一する江戸時代が到来する。その翌年の1604年、江戸幕府は北方エリアを領地とする松前藩に対し、アイヌとの交易を独占するように命じている。これがアイヌにとって苦難の道の始まりだった。それまで各地との交易によって富を得ていたアイヌは、自由な交易を阻害されたばかりか、松前藩はアイヌに不利な交易条件ばかりを提示し、次第にアイヌの人々の生活は貧しくなり、また厳しい環境下での労働を余儀なくされていく。このことに反発したアイヌは和人に対する敵対感情を次第に高め、1669年には松前藩に対し蜂起を試みる「シャクシャイン戦争」が勃発する。元々は民族間の諍いから始まったこの戦争は、和人とアイヌ間における史上最大の戦争へと発展。最終的には松前藩が和睦を申し出たが、その酒宴の場でアイヌの首長シャクシャインほかを謀殺し、これをきっかけに北海道全域にいるアイヌに対し絶対的な主導権を握るようになっていく。

その後、徳川幕府の終焉とともに日本は開国し、1868年に明治政府(日本政府)が成立すると、その翌年には北海道地域の開拓を目的とする官庁「開拓使」が道内に設置される。それ以降、文明国への発展を目指す日本政府はアイヌ文化を野蛮なものとみなし、アイヌ語の使用や文化の継承を抑制する同化政策を推進。アイヌの多くの土地は没収され、主な収入源だったサケやシカの狩猟が自然保護の名目で禁止されるとともに、名目上はアイヌの保護を謳いながら、極めて差別的な名称を与えた「北海道旧土人保護法」が1899年に制定されると、日本語を義務化するような植民地主義的な政策が法的根拠を持って実施されるようになっていく。この保護法は1997年に廃止されるまで約100年もの間継続し、アイヌの人々は言われのない差別と圧政に苦しみ続けた。

このことにより長らくアイヌ文化の継承は途絶え、アイヌであることを隠して生きる人がいまでも多く存在する。そして1986年、当時の首相・中曽根康弘が「日本は単一民族国家である」という主旨の発言をしたことで、アイヌの人々の怒りが一気に沸騰する。日本の首相が日本を「単一民族」と呼ぶ発言は、長年、和人と隣り合って暮らしてきた民族の存在を無に帰してしまう。この発言に対して北海道や全国各地のアイヌの活動団体が一致団結し、大きな政治運動が起きていった。それにより1997年「北海道旧土人保護法」は廃止され、アイヌ民族に関するすべての差別をなくし、文化を次世代に継承することを目的とした「アイヌ文化振興法」が成立する。その年からアイヌの調査研究や文化振興に関する取り組みに補助金が出るようになり、さまざまなアイヌ関係のコンテンツが生まれる契機となっていく。

アイヌの儀礼で用いられる祭具「イナウ」。一本の木の棒からすべて削り出してつくられ、カムイと人間の間を取り持つ依代とされている。
撮影/鷲崎浩太郎

その後さらに大きなうねりとなったのは、2007年に国連が発表した「先住民族の権利に関する国際連合宣言」の交付だ。それまで日本国内の小さな事象として追いやられてきた先住民族アイヌの問題が、初めて国際的な問題として捉えられるようになった。国連の発表を受け、翌年の2008年には日本の国会で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が衆参両議院全会一致で可決されるに至る。

数百年にわたる差別と圧政の時代を経て、いまアイヌは再び注目を集め、国内ではひそかなブームとなりつつある。2020年に開業したアイヌにまつわる最大規模の国立文化施設である「ウポポイ(民族共生象徴空間)」には大きな注目が集まり、各種メディアでも度々報道されるようになった。アイヌの少女がヒロインとして登場するマンガ『ゴールデンカムイ』のヒットをきっかけに、若い世代にもアイヌへの関心が広まっている。こうした流れを受けて、近年はアイヌを過去の土着的な文化に留めず、現代のカルチャーやライフスタイルとの接続を図る機運も高まっている。

たとえば、アイヌ文化を紹介する観光施設のひとつ阿寒湖アイヌコタンでは、常設の阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉において、アイヌの歌や古式舞踊とデジタルアートなどを組み合わせたプログラム「ロストカムイ(Lost Kamuy)」を2019年から上演している。デジタル表現を得意とするクリエイティブ集団WOWらが中心となり、3DCGや7.1chサラウンドの音響システムを駆使して、アイヌの歌や踊り、そしてアイヌが聖なる動物として崇めたエゾオオカミの物語とをミックスさせたプログラムを制作し、新たな観光客向けコンテンツとして高い評価を得ている。またほかにも、古くからアイヌの集落があり、独自の工芸文化を持つ二風谷(Nibutani)地区では、アイヌの工芸作家と公募によって選ばれたデザイナーやメーカーとがコラボレーションを図る「二風谷アイヌクラフトプロジェクト」が始まっている。総合ディレクターには世界的に活躍するファッションデザイナーのコシノジュンコを迎え、今後はさらなるアイヌ工芸のブランド化を推進していく予定だという。こうしたアイヌ文化を今につなぐ活動は、今後も勢いを増していくことだろう。本特集では、そんなアイヌ文化の現在を詳しく紹介していく。

阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉では、アイヌの古式舞踊、「ロストカムイ」の2演目が毎日2回上演されている(冬季は土日祝のみ)。
撮影/鷲崎浩太郎

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