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建築家・森俊子が創り出す「建築のかなた」。

October 22, 2021

ライター:デヴィッド・G・インバー 日本語訳:吉田実香

PHOTO: GION

森俊子

1951年、神戸生まれ。クーパーユニオンの建築科を1976年に卒業。トシコ・モリ・アーキテクトPLLCの創設者/プリンシパル。1996年にハーバード大学デザイン大学院建築学部名誉修士号を授与される。ハーバード大学デザイン大学院建築学部で女性として初の終身大学教授に就任。現在、ハーバード大学デザイン大学院建築学部実務教授として教育にあたる。

これまでに数々の賞を受賞。アメリカ芸術院アカデミー賞建築部門、アメリカ建築学協会ニューヨーク支部名誉メダル 、2016年タウシグマデルタ・ナショナル・オナー・ソサエティ・ゴールドメダル、アメリカ建築学協会/アメリカ建築家協会が傑出した建築教育に贈るトパーズ・メダリオン、2019年『アーキテクチュラル・レコード』建築デザインの女性リーダー賞、NY市博物館ルイス・オーキンクロス賞ほか。2016年には栄えあるアメリカ芸術科学アカデミー会員に、また2020年にはアメリカ芸術文藝アカデミー会員に選出という栄誉に輝く。2021年にはイサム・ノグチ財団よりイサム・ノグチ賞を授与された。

建築とはいかに日常の一部であることか。階段の上り下りひとつにおいても、人はみな建築デザインの素晴らしさを無意識に体感するものである。米国人は、小学校で古代ローマの建築技術者ウィトルウィウスが挙げた建築の三条件「強さ(構造)、用(計画)、美(意匠)」を学ぶ。建物の基礎が強固で倒れず、具合良く配置されねばならない、というのが最初の2点だが、最後の「美(意匠)」とは一体何だろう。人は何によって満たされるものであるかと考えさせられる。「ここ」から「あちら」へ導く美しい階段をつくる建築家は、実は人類の未来をも高みへと押し上げる役目を担っているのではないだろうか。

スレッドの屋根はスロープ状。雨水を集めて貯水槽に送り、生活用水に活用する。 | PHOTO: IWAN BAAN

ニューヨークを拠点とし世界的に活躍する建築家・森俊子は、幼少時代を終戦間もない日本で過ごした。当時の思い出は苦労だけではなく、若々しい希望にも彩られていた。当時は家柄に関わらず、日本国民の誰もが物に困った時代である。まだ少女だった森も祖母を手伝って家庭菜園やニワトリの世話にいそしみ、その中から数限りあるものをいかに守り、保つかを学んでいく。やがて日本は経済成長期を迎え、父親の赴任に伴い森の一家はNYに居を移す。森はまだ十代。多様性に満ちた文化や、アートやデザインはじめ様々な分野で傑出した人々が集結する街、NY。「私に合う街でした」と森俊子は語る。日本よりもチャレンジの幅が広いNYでは、自分が自分らしく独自の判断で自主的な生き方ができると感じ、父の次なる赴任地ロンドンへ家族が転居したのちも、森はNYに留まったのである。

クーパー・ユニオンの建築科で学び、高名な教育者にして建築家のジョン・ヘイダックに薫陶を受ける。建築家とはその智慧を次世代へと継承し、若い人々が自己実現に向けて踏み出す第一歩の手助けをすることによって社会貢献を果たすもの、それがへイダックの信条である。森さんはクーパー・ユニオンで14年間、またイェール大学でも教鞭を執り、ハーバード大学デザイン大学院建築学部長を6年にわたり務め、現在も同大学院で教授として学生の教育に日々あたっている。

1981年、建築事務所トシコ・モリ・アーキテクトを設立。以来、住宅や商業施設、大学施設や美術館、ギャラリーなど傑出した建築を数々生み出していく。またフランク・ロイド・ライトやポール・ルドルフ、マルセル・ブロイヤーを始めとする巨匠建築家の名住宅を、元の建築を保ちながら増築・改装し、巨匠たちが意図したものをより明確に現在へ蘇らせるプロジェクトも多数手がけてきた。

東セネガルはアフリカでも特に僻地とされる地域だ。ここで建物を設計するとは予想もしなかったという森がプロジェクトに導かれたのは、ジョセフ&アニイ・アルバース財団との縁あってのこと。2004年、NYのデザイン博物館、クーパー・ヒューイット・スミソニアン・デザイン・ミュージアムで『ジョセフ&アニイ・アルバース:デザインズ・フォー・リビング』展が催された。世界で初めて、ジョセフ&アニイ・アルバース夫妻、両名の作品を同時に展示した展覧会だ。そのデザインを一任されたのが森であった。ジョセフ・アルバースは画家として、またバウハウスそしてイェール大学で教育者としての功績が世界的に高く称賛されてきた人物だ。またプリントやテキスタイルですぐれた芸術を世に送り出したのが妻のアニイである。テキスタイル、つまり糸(スレッド)。森の業績は素材への深い洞察や理解に裏付けられており、中でも特に重要な位置を占めるのがテキスタイルだ。2002年に出版した書籍『Immaterial/Ultramaterial: Architecture, Design, and Materials』は、建築・デザインと素材をめぐる高度な研究として今も高い評価を得ている。

ナチス政権下のドイツを逃れ、アメリカに亡命した難民であるアルバース夫妻は、衣食住に事欠くとはどういうことか、またそれが快適さや文化をいかに奪うものであるかを身に染みて知っていた。「最大の効果をもたらすための、最小の手段を」とは、ジョセフの有名な言葉である。この理念に基づき、問題が逼迫した土地での問題解決に取り組むための財団を夫妻は設立した。

森俊子(右)。「ファス・スクール」を建設した地元の人々と。 | COURTESY: TOSHIKO MORI

円い形状や中庭がコミュニティの一体感をもたらす。 | PHOTO: IWAN BAAN

シンシアン村のあるセネガルのタンバクンダ州は、アフリカ・サハラ以南でも深刻な医療不足で知られる土地である。乳幼児や妊産婦の死亡率がきわめて高かったが、この四半世紀にわたる治療所や保育園の設立・運営によって状況は改善されてきた。森はそうした取り組みの中に、社会を良い方向に導くため建築が何をすべきかについて教え子達に伝える機会を見出している。2010年と2012年、森は自ら資金を募り、学生達を現地に引率した。そしてこの調査旅行を通じ、同地の10以上もの部族が一丸となって互いの力や技を持ち寄り、同じ目標に向かって取り組めば、ここシンシアン村は地域一帯を再生し得るとてつもない可能性に満ちている、との認識を新たにする。その推進力となるのが公共の集会場だ。そこでは歌や踊り、そして意見が交わされ、はるか海外へも伝播していく。そうしたムーブメントを推進する力となるのが、アーティスト・レジデンス&文化センター「スレッド」だ。アルバース財団との協働によって2015年、誕生した。

「スレッド」を建てるにあたっては、物質的に乏しい中で、地元コミュニティに貢献する建物を作らねばならなかった。予算もなければ、建設員や資材もない。日干しレンガも、草葺き屋根に使う雑草もすべて現地調達。建造もメンテナンスも、森さんが指示をしながら、地元の人々の手に委ねる。
「選択の余地はありませんでした。現地にある素材を使い、地元の昔ながらの様式で建物を作らねばなりません。アフリカの伝統的住居には、とてつもない智慧が備わっていますが、これまであまり探求されてはきませんでした」。例えば「煙突効果」。建物内部の気温が上がると、通気性のよい草葺き屋根から熱をもった空気が放出され、一方で地面に近いレンガ壁の隙間から涼しい風が入り込む。結果、赤道直下にありながら電力を要するクーラー無しで、建物内部を外より摂氏10度も涼しく保つことが可能になった。まさに「最小の手段で、最大限の効果を」そのものである。

涼しく居心地の良い教室で、児童は快適に学ぶことができる。 | PHOTO: IWAN BAAN

パラメトリックな屋根デザインは「スレッド」の真骨頂と言えるだろう。セネガルは一年の2/3が乾期で、残りが雨期。森さんは、雨季の降水量で地域の生活用水が一年間分まかなえると分析し、屋根から貯水槽へと通じる溝に雨水が屋根から直降し、貯水槽に貯まるように設計する。この水が一年を通じ、洗濯や作物の栽培に活用されているのである。

スレッドは集いや学びの場であり、人々をつなぐ場所だ。作物も育つようになった今では、貴重な収入源にも結びつく。そして驚くべき展開へもつながった。近隣にある極めて保守的なファス村の人々が、小学校を作ってほしいと依頼してきたのだ。同地の事情に詳しい専門家も、かつてない事だと驚いた。森はこう語る。「学習機会の欠如と貧困は、最も危険な組み合わせです。子ども達は文字が読めないのでテロリスト集団の誓約書にもサインしてしまいますし、歪んだ思想も信じ込んでしまいます」。それを誰よりも良く理解していたのは、村の長老たちだ。だがそれでもなお、長老たちとの間で、熱い討議を3年間にも渡って重ねる必要があった。そして2019年、「ファス・スクール&ティーチャーズ・レジデンス」が誕生する。5歳から10歳までの児童300名に、地元でこれまで教えられてきたコーランと共に基本的な一般教育を共学でほどこす学校だ。

子ども達がわれ先に通いたがったのも当然だ。建築的に 「スレッド」と親和性も高く、また同じくらい考え抜かれた「ファス・スクール」は、内部が涼しく、しかも静かに保たれる快適な空間なのだから。ちなみにこれまで地元にあった公立学校の校舎では、屋根が金属性。乾期には、密閉された室内がとてつもなく暑くなり、換気も悪いので児童は息苦しくてたまらない。雨季は雨季で、屋根に雨が打ち付ける激しい轟音でやはり勉強どころではなかったのである。

また「ファス・スクール」の建物の外側にはひさしが付いており、強烈な太陽光を遮ってくれるので、子ども達は日陰に腰かけて本を読むことができる。建物の中だけではなく外も勉強の場所になるというのも新たな喜びだった。見た目もしかり。円形をした建物は、古来から住む部族の伝統的な住居を連想させる。ひいては心の平安や幸福感、安心感を地域の人々にもたらしてくれるのだ。

食糧不足、エネルギー危機、地球温暖化。地球が抱える差し迫った問題をそれぞれ別個に取り扱うのは本質を見落としています、と森は語る。「すべて一度に解決できる答えなどありません。水、エネルギー、食糧、そしてソーシャル・ジャスティス(社会正義)……あらゆる問題へ同時に取り組まねばなりません。いずれも大規模で根深い問題です。数量ばかりにとらわれがちですが、問題同士の因果関係や人間社会・環境に及ぼす影響への考察や理解を抜きにして、統計数値の上だけで考えるのは非常に危険なことです」。

単なる「建物」を超えた何かをもたらす、という建築家の役割について森に改めて聞いたところ、こう話してくれた。森がこれまで設計を手がけてきた世界の国々には、建築がまるで消費財のように大量に作られる国もあれば、可能な限り長い歳月にわたって建築が保たれねばならない国もある。東セネガルでは、建築とは、建築家とはどういうものか考える人は殆どいない。かの地では、いかに日々の暮らしに貢献しているかでその人の価値が決まる。現地の子ども達は森が地域に何をもたらしたかをよく知っている。そして彼女を、堅苦しい敬称や尊称ではなく、単に「トシコ」と親しみを込めて呼ぶ。「私はそれがとても気に入っているのです」と森俊子は語る。

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