October 09, 2025
【MS&AD】人口動態・災害リスクが高まるなか、サスティナブル経営は喫緊の課題
損害保険会社にとって、サスティナブル経営は単にステークホルダーにアピールするためのトピックではなく、人口動態の変化や気候変動による不確実性が高まる中での喫緊の課題だ。
「私たちは、もはや保険を提供し続けることができなくなるのではないかという危機感を持っています」と、MS&ADインシュアランスグループホールディングスの常務執行役員兼グループCSuOである本島なおみ氏は、経営共創基盤(IGPI)の木村尚敬パートナーとのインタビューの中で述べた。
何よりも、損害保険業界が直面している最も深刻な問題は、地球温暖化による山火事や洪水など自然災害の急増がもたらす損害の増加だ。主要な商品の一つである火災保険は、損害保険大手4社合計で10年以上赤字を続けている。
「私たちにとって保険事業を持続可能にし火災保険を提供し続けることは、世の中の課題を解決することとほぼ等しいのです」と本島氏は述べる。
その危機感は、気候変動や人口動態の課題だけではなく、過去数年間に明らかになった業界における複数の不祥事に対する社会の批判にも起因している。これには、保険料の価格調整や代理店による不適切な保険金請求が含まれる。
2023年12月、金融庁は、MS&AD傘下の三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険を含む国内の損害保険4社に対し、企業向け共同保険の価格調整問題をめぐり業務改善命令を出した。共同保険契約は企業向けの保険金支払いリスクを分散させることを目的としており、保険各社のシェアは入札を通じて決定される。
その後2024年には一部の損害保険会社に対して中古車販売大手ビッグモーターによる保険金の不正請求問題に関わる業務改善命令が出された。さらに今年3月には、業界内で顧客情報の漏洩問題が発覚したため、再び損害保険大手4社に業務改善命令が出された。
業界の不正行為を是正し、公正な競争に基づく新しいビジネスモデルを構築するための改革の一環として、損害保険各社は政策保有株を売却することを決定した。主に金融機関が顧客企業との間で保有する政策株式は、長らく海外投資家から問題視されてきた。MS&ADは2030年3月末までに政策保有株をすべて売却すると発表し、海外市場、次世代システム、デジタルトランスフォーメーション、資産運用などの中長期的な成長戦略に投資をする予定である。
この決定は、営業体制の改革や気候変動リスクを踏まえた保険契約の見直しもあって各社の決算に影響を与えた。MS&ADは2025年3月期の純利益が前期比87.3%増の6,916億円に達し、2年連続で過去最高益を記録した。火災保険事業は、2010年MS&ADの統合以降、初めて黒字に転じた。
本島氏は、サステナビリティを専門とする部署のみが提案する政策ではいけないと述べた。「すべての社員が自分の業務の中でサステナビリティに取り組むことを実現したいと考えています」と彼女は話す。
2024年度からは、すべての全社員が組織や個人の計画・目標設定にサステナビリティ要素を織り込むことになった。「私たちは計画に基づいて取り組み、それを振り返る必要があります。このサイクルを皆で続けることが重要なのです」と彼女は述べる。
MS&ADは2018年から毎年サステナビリティコンテストを開催したが、約2,200件の応募があり優れた取り組みを共有した。今年からはコンテストの代わりにグループ全体から150人の社員を集めてテーマに沿った議論を開始した。
議論において長期的な視点から損害保険事業に影響を与える2つの大きなテーマが選ばれた。それは「水災」と「人口動態」だ。「これらは私たちのサステナビリティ経営戦略にとって最大の課題です」と本島氏は述べた。
「水災」に関しては、河川や地下水の流れを分析できるスタートアップ企業と協力し、企業の水関連リスクの評価・開示を支援するサービスを提供し始めた。同時に、都市や農地の開発などの企業活動が環境や生物多様性に与える影響が企業の財務状況にどのように影響するかを評価するツールを開発している。
MS&ADはまた、将来的な損害保険のあり方を検討するために、国や地方自治体と協力する可能性についても議論した。これは、地震保険や自動車賠償責任保険などの公的な保険の例を参考にしている。
本島氏は、MS&ADのサステナビリティ経営は3つの重要な課題に焦点を当てていると述べた。その基盤となるのが「地球環境との共生(Planetary Health)」であり、これが「安心・安全な社会(Resilience)」や「多様な人々の幸福(Well-being)」を支える。
例えば、「Planetary Health」を改善するために、2030年までの中間目標の一つは、2019年度比で、自社の温室効果ガス排出量を50%、国内主要取引先約3,300社の排出量を37%削減することだ。
例えば環境分野では、営業担当者が顧客企業から排出量削減のボトルネックについてヒアリングを行い、顧客の取り組みを支援するために何ができるかを検討する。
MS&ADはまた、社内の災害分析力を向上させるためにデジタルトランスフォーメーションに取り組んでいる。保険金請求や査定を含む手続きの一部はすでに電子化されている。業務効率をさらに向上させるために、MS&ADは2027年4月末までに三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険を合併することを決定した。合併後は国内最大の損害保険会社となる。
広範な改革の一環として、MS&ADは人事制度の見直しも行った。例えば、日本企業の慣行になっている社員の残業に制限を設け、男性社員に対して1か月の育児休暇の取得を奨励している。
Naonori Kimura
Industrial Growth Platform Inc. (IGPI) Partner
社会課題を「稼ぐ力」に変える経営モデル
MS&ADは2018年よりCSVを経営の核に据え、サステナビリティを事業機会として捉える経営戦略へと舵を切った。火災保険事業の収益力強化の必要性を背景に、社会課題解決を「稼ぐ力」と直結させ、経済合理性を伴う持続的な取り組みこそが成果に繋がるとの信念を貫いている。社員が自らの課題として取り組む文化を浸透させる段階を超え、現在は課題解決型の事業創出フェーズに移行し、最重要課題として「水災リスク」と「人口動態」という難題に挑んでいる点に同社の先進性が表れる。
さらに、全国転勤制度の見直しや定時退社の推進、男性育休の取得促進といった人事改革、DXやAIの積極活用は、「事業の源泉はヒューマンインターフェイスにある」という戦略思想と通底している。また、政策保有株の全廃方針は、ガバナンス強化にとどまらず、顧客への価値提供で競うビジネスモデル変革と表裏一体である。
これら一連の挑戦は、単なる社会貢献ではなく、不確実性が増す時代における収益機会の創出と事業競争力の強化に直結するものである。サステナビリティと事業戦略を高度に融合できる企業は未だ少なく、MS&ADが日本全体のサステナビリティ経営を牽引する存在となることを期待したい。