November 29, 2024
山本理顕が考える「建築を通じたコミュニティの創出」とは?
活躍する建築家に贈られる賞は世界に数多くあるが、なかでも一番注目され、建築界のノーベル賞と呼ばれる賞がある。それがアメリカのハイアット財団が主催する「プリツカー建築賞」だ。賞の創設は1979年。「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきた」存命の建築家が対象で、国籍・人種・思想・信条を問わず、原則として1年に1人が表彰されている。今年2024年の受賞者の発表は3月7日に行われ、建築家の山本理顕がその栄光に輝いた。これで日本人建築家の受賞は8組9名となり、アメリカと並び、世界最多受賞国となった。
元々日本では寺社仏閣や城などが数多く造られ、木造建築の建設や土木の分野で、優れた技術が長年培われてきた。しかし江戸時代から明治時代へと国の体制が変わるなかで、近代国家建設が急務となり、当時先進的であった西洋にその規範を求めることになる。建築の分野で言えば、イギリスから25歳という若さの建築家ジョサイア・コンドルが“お雇い外国人”として建築科の教師として日本に招聘された。彼は、現在の東京大学工学部の前身となる工部大学校で1877年より教鞭を執り、そこから多くの建築家が巣立っていった。そこから約150年で、日本の建築家は世界でトップレベルの高い評価を得るにいたったのである。
日本人で9人目となる山本理顕のプリツカー建築賞の受賞報道は、建築界を驚かせた。受賞するのは派手な建築を作るスター建築家という先入観が一般にあったからかもしれない。山本が一貫して訴え、作品を通じ追及してきたのは「建築を通じたコミュニティの創出」。プリツカー賞の審査員から高く評価されたのもその点にあった。
「審査員でエグゼクティブ・ディレクターであるマニュエラ・ルカ=ダツィオ氏から受賞の知らせが入ったのは1月半ばでした。その連絡に私自身も驚きましたが、9名いる審査員の顔ぶれを見て納得しました。審査委員長でこの賞の受賞者でもあるチリ人建築家アㇾハンドロ・アラヴェナさんは、チリで貧困に苦しむ人たちのための住宅プロジェクトを行うなど社会的な活動に取り組む建築家です。また審査員には外交官など建築家以外の人もいます。そのため“建築の社会性“に対し強い意識をもっていると思います。そういったことが私の受賞につながったのではないかと思いました」。
実際2000年代の初め頃までの受賞者の顔ぶれを見てみると、作品性の高い建築を生み出す建築家が評価される傾向にあったように思える。それが2008年のリーマンショック以降からだろうか。地域に根差した活動や、社会的な意味合いの強いプロジェクトを手掛ける建築家が評価を受けるようになってきた。2016年のアレハンドロ・アラヴェナの受賞しかり。特に2013年の伊東豊雄、2014年の坂茂という、2年連続で日本人建築家が受賞したことはこの表れだと言える。
「伊東さんは2011年の東日本大震災の際に、建築家は被災者のために何ができるか? を問い、被災地に「みんなの家」というコミュニティスペースをつくることに奔走しました。また坂さんは1996年の阪神淡路大震災での紙の教会をはじめ、1999年のルワンダ難民のためのシェルター提供から始まり、戦争での難民や自然災害の被災者のために活動してきました。プリツカー賞の審査員は建築作品だけではなく、社会性に対しても注視し評価しているのだと思います」。
では、山本が評価された建築によるコミュニティの創出とは一体どのようなものだろうか? <広島市西消防署>(2000年竣工)を例に見てみよう。通常の消防署はコンクリートで堅牢につくられているため閉鎖的な印象を受けるが、この消防署は透明感あるガラス張りの建物で、内部まで全て見通すことができるのが特徴だ。建物内で活動する隊員の姿も外からうかがい知ることができる。この開放的な建築の効果で、隊員にとっては日々のやる気につながり、市民にとっては“自分たちは守られている”という安心感につながると山本は言う。「消防隊員は災害の時だけ出動してくるわけではないのです。日々署内で行う消防訓練や救急センターでの実習などもコミュニティ活動のひとつだと思います。それを見せることで地域の防災意識の向上にもつながり、しっかりとしたコミュニティが育つのです」。
また1000名を超える生徒が通う<横浜市立子安小学校>(2018年竣工)の設計では、山本は生徒数が適正なコミュニティのスケールを超えていると指摘しながらも、教室を密室化させないよう各教室を透明にしたり、グラウンドを中心に4m幅のテラスを設け、そこで生徒たちが草花を育てるなどの活動ができる開放的な場とした。山本は「未来の教育とはどうあるべきか、を考える時に、そのヒントになるような建築を目指しました。運動会の時には、グラウンドに向かってつくられたテラスに2000名の父兄が集まり、そこからグラウンドで行われる1,000人の子どもたちによる運動会を見るんです。この時はこのテラスがスタンドになって、グランドを含めた校舎全体が大きな野外劇場のようになって、生徒も先生も父兄も嬉しそうでした」と語る。
さらに山本は、「地域社会圏研究所(Local Area Republic Labo)」という組織をつくり、現代社会でのコミュニティのあり方を模索している。山本曰く、地域社会圏(ローカル・リパブリック・エリア)とは500人~1000人くらいの小さな自治単位、わかりやすく言うと町内会のようなものだという。実は日本でも江戸時代(近代化以前)までは、当たり前のように町内会のような小さな単位で自治を行ってきた。しかしそれが時代と共に国家と言う大きな社会にくみこまれていってしまったため、コミュニティ意識が希薄になってしまったという。ではどうすれば、小さなコミュニティを中心とした生活ができるのか、そのコミュニティを生み出すための建築とはどういうものかを模索しているという。
今、この山本の考え方に興味を持つ国や地域から、様々な講演依頼やプロジェクトの相談が来ると言う。今回のインタビューの翌々日からも山本はベネズエラへ行き、今年1年だけでグアテマラ、セルビア、インドネシア、フィリピンなど、コミュニティー活動が盛んな国々から声がかかり、出かけてきたそうだ。建築を通じたコミュニティの創出を考える建築家・山本理顕への、世界からの期待は大きい。
山本 理顕
1945年、北京生まれ。建築家・山本理顕設計工場代表。日本大学理工学部建築学科卒業、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了、東京大学生産技術研究所原広司研究室研究生。2007-2011年横浜国立大学大学院教授、2018-2022年名古屋造形大学学長、2022-2024年東京藝術大学客員教授、2024年より神奈川大学客員教授、横浜国立大学名誉教授・名誉博士、日本大学名誉教授・名誉工学博士。主な作品にGAZEBO、埼玉県立大学、公立はこだて未来大学、横須賀美術館、The CIRCLE チューリッヒ国際空港、名古屋造形大学など。桃園、天津、北京、ソウルなどでも複合施設、公共建築、集合住宅などを手掛ける。主な著書に『新編 住居論』(平凡社)、『地域社会圏主義』(TWOVIRGINS)、『権力の空間/空間の権力』(講談社)、『THE SPACE OF POWER, THE POWER OF SPACE』(『権力の空間/空間の権力』英語版、TWO VIRGINS)、『都市美』(河出書房新社)など。2001年「第57回日本芸術院賞」、2024年度プリツカー賞、文化庁長官表彰(国際芸術部門)受賞。