April 25, 2025

食を通じ復興を目指し奮闘する2人のシェフ。

ライター:寺尾妙子

取材で能登を訪れた2025年3月2日「のと里山空港」では、和太鼓やダンスなども披露される復興イベントが行われていた。その一角、2024年11月にオープンした仮設の飲食店街NOTOMORI内に、ジャパンタイムズが主催する「Destination Restaurants 2022」受賞シェフ、池端隼也の姿があった。2024年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」と同年9月の豪雨被害の影響で、池端がオーナーシェフを務めるフレンチレストラン『ラトリエ・ドゥ・ノト』は甚大な被害を受け現在休業中だ。その代わりに自らも被災者でありながら、地震発生の翌日1月2日から毎日、炊き出しを続けていた。そして地震から8か月後の2024年9月、炊き出しメンバーと共に輪島市に食堂『mebuki -芽吹-』をオープン。2024年11月には空港敷地内の仮設飲食店街にその支店も出したのだ。

「輪島は観光地。飲食店が営業しないと、灯りが消えてしまう」という切実な思いから、『ラトリエ・ドゥ・ノト』時代の蓄えを全部注ぎ込み、さらにクラウドファンディングで資金を作って店を立ち上げた。

mebuk-芽吹-i
池端がオーナーの『mebuk-芽吹-i』はカウンターや個室もあるカジュアルな居酒屋だ。『mebuki -芽吹-』◎石川県輪島市マリンタウン6-1 TEL090-2102-4567 11:30〜13:30LO(月〜金)、 18:00〜21:30LO(月〜土) 日曜休。 

「家族からは反対されました。妻の実家がある大阪で再スタートを切ればいいとも言われました。でも、僕は能登に残りたかった。お金については、震災前から生産者から通常の3倍の価格で食材を買わせてもらうなどして、店の売り上げを街の人々に還元してきたので、今回もそうしようと思っただけのこと。そうじゃないと料理を作るという自分の生業をまっとうできないから」と池端は語る。

立ち上げメンバーは市内で被災した飲食店に従事する人を中心にさまざまな職業の人たちがいたが、現在では漁師は元の仕事に戻り、味噌店を商っていた人は大工に転身するなど、次のライフステージに進む者も多く、被災地の状況も変化している。そのようななか、取材日翌日の3月3日には、池端の人脈で首都圏から有名シェフたち20人以上が炊き出しに訪れた。『mebuki -芽吹-』の周辺は仮設住宅に囲まれているが、訪れる被災者はまばらだった。

「のと里山空港」の一角にある仮設の飲食店街にある『芽吹食堂』でも腕を振るう池端。

端がフレンチの手法で作る能登・門前町の七面鳥を使った「七面鳥ラーメン」なども販売。

「まだ炊き出しが必要な地域もあるので、ボランティアをしてくれるシェフの方々には感謝しています。ただ、被災地域でも飲食店の営業が始まってきているので、その営業の妨げにならないよう、今回は無料ではなく、1品100円を支払ってもらう形にしてもらいました」(池端)。「いつまでも被災者として助けてもらうだけではいけない。もっと自立しないと」という言葉を、池端から、また被災地各所で耳にした。

被災地といっても被害の大きさは、地域や個人で異なる。七尾市は、奥能登と比べると被害の度合いは小さく、道路も概ね修復が完了し、買い物も普通にできる街だ。

A dish at Mebuki. The cuisine features fresh seafood from Noto, including red sea cucumber caught by an ama diver who works for the restaurant.

「ただ、現在は公費解体が6割進んで、景色がガラリと変わってしまいました。10割解体されたら、どうなってしまうのか」

こう不安気に語るのは、「Destination Restaurants 2024」受賞者である川嶋亨だ。前田利家の城下町、七尾市の中心部にある一本杉通りは昆布店や醤油店など老舗が多い商店街。そこに日本料理『一本杉 川嶋』を構える川嶋は、宿泊施設を併設しようと借金をした矢先に地震に遭った。国の登録有形文化財になっている築90年超の店舗を修復するには、職人不足や資材の高騰など、乗り越えなければいけない壁がいくつもあるため、手付かずのままになっている。そんな状況でもやれること。それは川嶋にとっては、一本杉通りの風情ある街並みをできる限り残すことだった。

旧・万年筆店だった昭和初期の建物を利用して営業していた『一本杉 川嶋』。2階の窓がペン先の形になっているなど、建物は意匠を凝らした国の登録有形文化財だが、現在は損傷が激しいため、カバーで覆われている。
PHOTOS: TAKAO OHTA

「僕が商店街にある店を買って直して使えばいいと思ったので、私の店の向かいの3軒を買いました。1軒は他の人でも使えるシェアキッチン、1軒は宿泊施設。もう1軒は『一本杉 川嶋』とは業態を変えて、ギャラリーもあるレストランにするつもりです。ただ、それは震災前から思い描いていたことをやっているだけなんです。以前から一本杉通りを学生でも入れる安価な店から高級店まであるような「食」が魅力になる通りにしたいと思っていたので」と川嶋は言う。しかし、それら3軒は当初、今年2025年2月頃にのオープン予定だったが、近隣の瓦礫の撤去が進まず、営業できないでいる。

そんな川嶋が足繁く通うのが、1953年に創業し、現在は店舗再開に向けて七尾市が提供する仮設店舗の一角で営業する喫茶店『中央茶廊』だ。店のマスター、窪丈雄の気さくな人柄もあって、街の人が次々、コーヒーを飲みがてら、川嶋とも言葉を交わしていく。

中央茶廊
2025年8月末頃、石川県七尾市府中町12に移転予定。銅板で焼くホットケーキが名物の喫茶店だ。 『中央茶廊』◎石川県七尾市一本杉町100番地仮設店舗内。7:00〜16:00。不定休。
PHOTOS: ISSHIN HATAKEYAMA

「街の雰囲気を形成するのはこういう小さな店だと思います。前々から店主の高齢化などで、震災がなくても10年後、20年後には小さな店が消えてチェーン店しか残らないのではないかと危惧していましたが、こういう店を残して行きたい。そのために僕は基本的にはこれまで注目されてこなかった小さな店の料理人や生産者たちと東京に行って、イベントを行ったり、能登の現状を伝えるようにしているんです」(川嶋)

そんな川嶋や前出の池端には他府県の有名レストランから次々、コラボレーションイベントの声がかかり、コラボ相手のシェフたちが能登まで2人を訪ねてくる。一方、彼らのような求心力のある人材がいない地域からは「輪島や七尾が羨ましい」という声も上がる。同じ能登でも地域によって被害の大きさもさることながら、復興へのパワーの大きさも異なる。“被災地格差”をどう解消するのか。解決が待たれる。

「輪島が大好きだから輪島で頑張りたい。ここに来てくれた人のために最高のものを出したい」と語る池端シェフ。地元産の新鮮な魚やみずみずしい野菜を使った料理には、能登の生産者の情熱が詰まっている。

池端 隼也(いけはた としや)

1979年石川県輪島市生まれ。『ラトリエ・ドゥ・ノト』オーナーシェフとして「Destination Restaurants 2022」受賞。2024年1月1日の震災や続く9月の豪雨被害に遭いながらも炊き出しやチャリティ活動に励む。2024年9月、輪島市に食堂『mebuki -芽吹-』オープン。

「被災して、初めてわかったこともたくさんあります。自分が得たものは地域に還元したいですし、こういうときだからこそ、七尾市で、そして能登全体で連携しながら復興していきたい」と語る川嶋シェフ。

川嶋亨(かわしま とおる)

1984年石川県七尾市で能登の名旅館『加賀屋』総料理長の長男として生まれる。大阪で修業中の26歳のとき、バイク事故で重症になるも復活。2020年『一本杉 川嶋』オープン。「Destination Restaurants 2024」受賞。震災後は食を通じて、能登の現状を伝える活動を続けている。

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