February 27, 2023

【大和ハウス工業】住宅業界の枠を超えた革新で成長を続ける

Daiwa House President and CEO Keiichi Yoshii | Hiromichi Matono

住宅・建設・不動産業界で売上高が国内最大の大和ハウス工業は、建築の工業化により日本の建築産業に革新をもたらした。その後住宅分野で事業を拡大しただけではなく、商業・事業施設や再生可能エネルギー分野など事業の多角化を進めた。

「この会社は、無から有を生もうとする会社なんです」と大和ハウス工業の強みについて芳井敬一社長は話す。

大和ハウス工業は1955年に石橋信夫が創業し、18人の社員と共に初めての商品「パイプハウス」を誕生させた。第二次世界大戦を生き延びシベリアに抑留された経験も持つ石橋は、復員後に故郷の奈良県が大型台風の被害にあった時に商品のヒントを得た。1950年に関西地域を襲ったジェーン台風は、12万戸もの木造家屋に被害を与え2万戸近くが倒壊した。当時石橋は、強風に対して稲や竹は耐性があることに注目し、同じように中に円く空洞がある鉄パイプを使ってパイプハウスを開発した。これを当時の国鉄(現在のJR)、官庁、建設現場の倉庫や事務所向けに販売した。このようなプレハブ建設は当時の日本の建築業界に革命をもたらしたと言える。工場で建設資材を大量に組み立てる事によって建築を工業化し、高度経済成長に向かう日本の産業を支えたからである。

創業当時から住宅建設をめざしていた石橋は、1959年にプレハブ住宅「ミゼットハウス」の販売を開始する。ミゼットハウスは「3時間で建てられる勉強部屋」として人気を集めた。後に大和ハウス工業は住宅事業を拡大し、大型商業施設や生産・物流施設の建設、不動産開発、環境エネルギー事業と事業分野を広げながら成長を続けた。2022年4月時点で480社のグループ企業を抱える従業員7万1,000人の企業へと発展を遂げた。

「大和ハウス工業は住宅市場にプレハブという革命を起こした。一方で現在は、住宅事業の国内売上は連結売上高の約10%である」と芳井は話す。同社は近年、戸建・マンション建設などの住宅事業の他に幅広く施設建設も手掛けているが、参入が後発だったため施工会社として選定される方法を常に考え続けたと芳井は話す。

Hiromichi Matono

そのために徹底した現地調査に基づくテナント情報を収集し、不動産オーナーに提案した。テナントはどこに出店したいのか、どこに物流センターが必要なのかを調査し、一方でその土地が有効活用されるためには、どのようなテナント誘致が必要かといった提案を行った。契約を獲得すると、その施工を大和ハウス工業が請け負った。施工のみの契約では手掛けることができなかったような総合力が求められる案件も請け負うことになり、オーナー、テナント、大和ハウス工業がそれぞれ対等な協力関係を築くことで成長が実現した。

大和ハウス工業は海外市場への参入も早期に取り組んでいる。現在は20カ国以上で事業を展開し、米国を筆頭に、中国、オーストラリアで売上高を伸ばしている。昨年5月の第7次中期経営計画の発表の場で、2026年度末までに海外事業売上高を2倍以上の1兆円に成長させることを芳井は発表した。

過去を振り返ると、1961年にはシンガポールに進出し、1972年の日中国交回復後は中国に進出したパナソニック(当時の松下電器)などの日本企業向けに北京・上海・天津・大連で住宅建設を開始した。

しかし拡大を続けた大和ハウス工業にもその副作用がなかったわけではない。2019年には中国の関連会社による不正行為が発覚し、国内では2,000戸以上の住宅において建築基準に関する不適合等があったことを公表した。これら一連の問題をきっかけに、大和ハウス工業は創業100周年を迎える2055年に向けて、改めて企業の存在意義であるパーパスは何かを社員に問いかけた。

創業者の石橋は、創業100周年に売上が10兆円になることを目指していたという。では、2055年に向けてどのような企業の姿を目指したいのか。同社は若手従業員約3万人にアンケート調査を行った。その意見に基づき役員会で議論を重ねた結果、「生きる歓びを、未来の景色に」というパーパスを掲げた。

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石橋は2003年に81歳で亡くなるまで将来の「夢」を語り続けたという。実際に「寝てみる夢も過去の夢も、さして重要な意味をもちません。われわれにとって重要な夢は、将来の夢でなければならないのです」という言葉を残している。芳井は、未来のために新しい街をつくるには、過去に自分たちが開発した街に対する責任をとらなければいけないと話す。

「つくる責任」だけではなく「つくった責任」も果たすために、大和ハウス工業は「リブネスタウンプロジェクト」を立ち上げた。1970年代に大規模開発した郊外型住宅団地が、少子高齢化や人口減少などの課題を抱えているからだ。

例えば兵庫県三木市にある「緑ヶ丘ネオポリス」では、大和ハウス工業は1970年代初期に土地区画整理事業を手掛けながら住宅建設を請け負った。現在は、高齢化や人口減少による空き家問題を抱える同地区に対して、大和ハウス工業は市行政当局や住民と協力しながら、高齢者向けに住宅を建て替えたり、若い住民の流入を促す中古住宅のリフォームやリノベーションに取り組もうとしている。

「一定の役割を果たした街をどうするのかということをまず見せないと、次の新しい街をつくる資格がない。だから過去の物件、自分たちがつくってきた物件をもう一度見直すということを現在進めている」と芳井は話す。

環境の面でも大和ハウス工業は一歩先を行っている。大和ハウス工業は、国際NPOクライメイトグループが主導する気候変動の目標達成のための企業連合「RE100」「EP100」に加盟しているが、昨年、エネルギー消費をすべて2040年までに再エネルギー化するという「RE100」の当初目標より17年前倒しで2023年度に達成することを発表した。

「再生エネルギーを使うだけではなく、作っているのが当社の強みだ」と芳井は語った。

Hiromichi Matono

Naonori Kimura
Industrial Growth Platform Inc. (IGPI) Partner

1955年創業の大和ハウスグループは、創業商品である「パイプハウス」により日本の建築に革命をもたらし、以降も日本経済・地域社会の発展に寄り添いながら事業を拡大してこられた。現在は住宅関連だけでなく、商業施設や事業施設、環境エネルギー分野などに領域を広げられているが、その原動力は、「無から有を生み出す」力強いフロンティア精神だ。他社との違いを明確にした取り組みで社会課題を解決していくことで、常に新たな価値創造に取り組んでいる。新たな地域社会との創造の一つに、リブネスタウンプロジェクトがある。少子高齢化や人口減少といった社会課題に真正面から向き合い、街と暮らしを再耕する壮大なプロジェクトを、地域も巻き込みながら力強く推進しておられる。創業100周年にあたる2055年に向けて、どのような社会を創り出したいかをまとめ、“将来の夢”として策定した。全社員がこの夢の実現に向け日々邁進しておられるが、「実行するのは人だ」と語る芳井社長は、人財基盤の強化こそが付加価値の源泉であると言い切る。自分の子供たちと同じように人を育てる、何気ない言葉ではあるが、多くの人が成長機会を捉えて価値創造に取り組んでいる。2055年の“将来の夢”は、しっかりと委ねられている。

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