January 24, 2025

浮世絵に心を落ち着かさせ、両国間の友好に務める。

ライター:斎藤理子

ヘリ・アフマディ駐日インドネシア共和国特命全権大使。大使執務室にて。執務室にはガルーダ像が置かれ、壁には日本人作家・石澤久夫によるバリ島をイメージした絵画が飾られている。絵画は2006年に当時のインドネシア大使新任記念として送られたものだ。
PHOTOS: YOSHIAKI TSUTSUI

2021年から約2年半をかけて建て替え工事を行い、2023年12月にリニューアルオープンしたインドネシア大使館。ゲートや建物の壁面にはバティックの型押し模様があしらわれ、1階ロビーに入れば木彫りの大きなガルーダ(ヒンドゥー教の神で、ヴィシュヌ神の乗り物とされている)が出迎えてくれる。広々としたロビーの壁には、スマトラ島の《生命の木・カルパタル》が飾られ、窓のスクリーンはバティック。前庭にはプランバナン寺院を模した金属のモニュメントが置かれるなど、足を踏み入れた瞬間にインドネシアを感じる大使館に生まれ変わった。

その最上階に執務室を構えるのが、ヘリ・アフマディ駐日インドネシア共和国特命全権大使。2020年11月に就任し、任期満4年を迎えた。

インドネシア大使公邸は、閑静な高級住宅街にある落ち着いた雰囲気の洋館。手入れの行き届いた芝生や年月を経た樹木に趣がある。

「インドネシアと日本は1958年1月に平和条約に署名し、国交が樹立しました。以来、戦略的パートナーとして経済・政治・安全保障はもちろん、社会や文化の側面でも友好関係を確立しています。2008年7月には、幅広い分野での協力を強化するために、インドネシア・日本経済連携協定が発効されました。2021年3月には防衛装備品の輸出を可能とする《防衛装備 品・技術移転協定》を署名・即日発効しています。その翌年、日本はインドネシアでの防衛演習に参加しました。日本のインドネシアにおける共同軍事演習は今年で三回目となります。これは非常に重要な進展だと思います。この協定は私が日本に赴任中に締結された協定の中でも最も重要な合意のひとつだと認識しています。他にもカーボンニュートラル/ネット・ゼロ排出に向けた協力のためにインドネシアと日本をはじめ11カ国が参加している《アジア・ゼロエミッション共同体(AZEC)》など、インドネシアと日本間では様々な協定が制定されていて、両国の友好関係は確固たるものになっています」。

インドネシア・日本経済連携協定(EPA)は、貿易や投資の自由化と円滑化、人の自然な移動、エネルギー・鉱物資源・私的財産・ビジネス環境の整備など幅広い分野での協力について締約した協定。両国の関係をより強固なものにするための協定である。多様な分野の中でも、アフマディ大使は、政治経済や防衛などの交流はもちろん重要だが、人と人の心の繋がりが一番大事だと語る。

「2011年の東日本大震災の時には当時の大統領が来日し、壊滅的な被害を受けた気仙沼に図書館を寄贈しました。それ以来、インドネシアは毎年何らかの形で気仙沼の援助に関わっています。2021年にはインドネシアの文化を紹介する《インドネシア日本市民友好文化フェスティバル》がスタート。毎年異なる街で開催されています。2024年は東京の代々木公園で開催され10万人以上が来場しました。日本で働くインドネシア人は、2024年度には18万人を超えました。これは2年前の2倍の数字です。地方の工場や農場で働くインドネシア人は急増しています。ですので、私は地方の日本の人々との繋がりをとても重視しています」。

大使公邸のエントランス。インドネシアの伝統的な彫刻が施された扉や窓が印象的で美しい。

2000年から度々京都に在住し、2004年には、京都大学東南アジア地域研究所客員研究員として滞在した経験を持つ大使は、その経験をきっかけに日本と日本文化の大ファンになったのだという。特に浮世絵が大好きだそう。

「葛飾北斎と歌川広重の作品をいくつか持っています。他の作家のものも合わせれば200作品以上は持っていると思います。何か考え事をしなければいけないときは、浮世絵を飾ってある部屋にいることが多いですね。浮世絵を見ていると不思議と考えがまとまるんです。神田の古本屋街で、浮世絵の本を探すのが大好きで、時間を見つけては古本屋巡りをしています。日本は美術館や博物館が無数にあるので、それを訪ねて回るのも楽しみです。国立博物館をはじめとする上野の博物館群や<すみだ北斎美術館><森美術館>は特に好きですね。<すみだ北斎美術館>は、蒐集作品はもちろんSANAAが設計した建築も素晴らしいです」。

日本の建築も好きだというアフマディ大使は、日本の建築は本当に素晴らしいと語る。リニューアルした大使館の建築コンサルタントは黒川紀章建築都市設計事務所。建築家の故・黒川紀章は<クアラルンプール国際空港>(1998年開港)の設計を手掛けたことでも知られている。インドネシアは2045年を目標に、首都をジャカルタからカリマンタン島東部のヌサンタラに移転させることを決定。今世紀最大の首都移転ともいわれるこのプロジェクトに、日本の建築家が関わる可能性もあるのかもしれない。

北海道から沖縄まで訪れ、さまざまな友好プログラムに携わっているアフマディ大使だが、訪問地ではその土地の歴史や文化を知るために必ず博物館を訪れるそうだ。国立アイヌ民族博物館<ウポポイ>や沖縄の博物館は特に印象深かったという。

大使の浮世絵コレクションのひとつ。

2023年6月、天皇皇后両陛下がインドネシアを親善訪問した際、アテンドをしたアフマディ大使に対するお礼として、両陛下ご署名入りの写真とともに下賜された壺。

「両国の友好関係のためには、経済の枠を越えて人々が真心で接することが大事だと考えています。インドネシアの文化を紹介するためのイベントやフェスティバルを数多く実施しているのもそのためです。至近では<東京富士美術館>で『多様性の中の調和』と題したインドネシア文化紹介のレクチャーと展覧会を開催しました。妻が力を入れているバティックの歴史や制作過程の紹介なども人気でした。文化協力は日本とインドネシアの人々のつながりを促進するために非常に重要であると考えています」。

大使の執務室には菊の御紋が入った壺が飾ってある。これは、2023年6月の天皇皇后両陛下による御即位後初の親善訪問でインドネシアにいらした時に、アテンドをしたアフマディ大使に対するお礼として両陛下ご署名入りの写真とともに下賜されたもの。

「天皇皇后両陛下のインドネシア訪問に随行できたことは非常な名誉でした。下賜くださった壺と写真は私の一生の宝物です。両陛下の署名入りのお写真は大変貴重なものです。

これを飾ることができるのは、本当に光栄なことです」。

三方ガラス張りの公邸のリビングは、明るくて居心地の良い空間。大使夫人が普及に力を入れているバティックの布が、アクセントになっている。

ヘリ・アフマディ駐日インドネシア共和国特命全権大使(ミクロネシア連邦大使兼轄)

1953年1月1日 インドネシア西ジャワ州ポノロゴ県生まれ。1982年 バンドゥン工科大学工学部卒。1989~1990年 アメリカン大学国際関係学部ヒューバートH.ハンフリー・フェローシッププログラム在籍。1991~1992年 コーネル大学東南アジアプログラム客員研究員。1999~2014年 国会議員(当選3回)。国会では、1999~2000年 第4委員会(インフラ担当)/ 2001~2004年 第6委員会(教育、宗教、文化、観光担当)/ 2009~2011年 第10委員会(教育、文化、観光担当)/ 2011~2014年 第1委員会(外交、防衛、情報、通信担当)を務める。2001~2004年 国民協議会副議長(闘争民主党選出)。2002~2004年 インドネシア日本経済協力特別委員会委員。 2004年 京都大学東南アジア地域研究所客員研究員。2017年~2020年 闘争民主党・政策調査分析部会長。

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