October 25, 2024
スペイン・バスクの名シェフと日本酒との関係。
佐賀県のほぼ中央にそびえる1,046メートルの天山。その麓の小城市で、天山山系の清らかな湧水と、肥沃な平野で育った酒米を使って酒を醸す1軒が〈天山酒造〉である。この酒蔵で2024年3月、スペイン・バスク地方のミシュラン2つ星レストラン〈ムガリッツ〉のシェフ、アンドニ・ルイス・アドゥリスへの「SAGAガストロノミー交流大使」委嘱式が行われた。式典では委嘱の証である、有田焼のプレートが、山口祥義佐賀県知事からアドゥリス氏に贈られた。
〈ムガリッツ〉は、周囲に何もない田園の中にポツンとあるレストランだが、世界の食通がわざわざ訪れる特別な1軒だ。そこで、佐賀の日本酒や器が使われているのである。「私のレストランでは、誰も見たことがない、誰も味わったことがない、革命的な料理を展開しています。にもかかわらず、長い間、飲み物はソムリエまかせで旧態依然としていました。ソムリエは2〜3年ごとに変わるため、あるときは伝統的なワインが山ほど増えたり、日本酒好きのソムリエの時代には日本酒を60種類もオンリストしていたり。しかし、創立20周年を期に、それではいけないと、レストランの有り様に合わせた、誰も飲んだことのないドリンクを作ろうと決めました。ワインはもちろん、日本酒もです」と、アドゥリス。ムガリッツの“実験”に賛同してくれるワイナリーを探し、特別にブレンドしてもらい、他とは一線を画すオリジナルのワインを増やしていった。日本酒も同様だ。現在、〈天山酒造〉は、〈ムガリッツ〉のため、「純米をブレンドした赤のエチケット」、「純米吟醸をブレンドした緑のエチケット」という2種類の特別な「七田」を収めている。六代目社長の七田謙介が言う。「ムガリッツを訪れたときに強烈な印象を受けました。あの驚きの連続の料理に合う酒はどんなものだろうとスタッフと考え、何度も比率を変え、テイスティングを重ねてやっと生み出したのが、この2本です」。残念ながら日本では同じものを販売していないが、六代目が21世紀の現代の食生活にフィットする酒として2001年に立ち上げた「純米酒 七田」で、その片鱗を楽しむことが可能だ。
そもそも、アドゥリスと佐賀県の交流は、2013年フランス・リヨンの展示会で彼が有田焼に出会ったことから始まった。以来、有田焼のみならず、食材や日本酒などの名産品を通し、スペインと佐賀県は強い絆で結ばれていく。2022年には、県と駐日スペイン大使館が「連携・協力を目指す覚書」を締結し、その関係はますます緊密に。交流大使となったアドゥリスは、美食の分野における佐賀県とスペインの架け橋になるとともに、県産品の魅力を発信する役割を担う。
委嘱式典ののち、〈天山酒造〉では佐賀県の食材を集めた美食イベントが賑やかに開催された。ゲストは県内の食品生産者や地場産品の製造事業者など約50名。酒蔵内にはいくつもの試食ブースが設けられ、県内の生産者や製造業者らが丹精した、フルーツトマトや蓮根、ウニ、イチゴ、自然薯、素麺など、自慢の食材を用いた料理や加工食品が並んだ。さらに、アドゥリスに同行した〈ムガリッツ〉のシェフ2名も、県の名産コノシロをバスク風にマリネしたアドバル(アドボ)、佐賀牛や海苔など用いたピンチョスなど、県産の食材を駆使した料理をこしらえて出展。佐賀とスペインの味の交流が繰り広げられた。ゲストは各ブースを巡って、できたての美味を日本酒や嬉野茶とともに堪能した。アドゥリスシェフも県知事と酒蔵内を回遊しながら、試食や利き酒を楽しんだ。また、大きな木の酒樽が並ぶ酒蔵の2階では、家具や器、和紙などが展示され、ゲストが、佐賀の自然の恵みから生まれたモノづくりを体感できる仕掛けになっていた。
会場ではまた、2015年に〈ムガリッツ〉が制作した映像作品「TABA」が上映され、映像を見ながらアドゥリスシェフ自らが解説してくれるという贅沢な時間を過ごした。イベントの締めくくりは、彼のスピーチだった。「佐賀には、何代も続く生産者が多い。それは、何百年も重ねられた知恵の蓄積です。みなさん、ひとつのものを作るのに、その知恵を使い、たくさんの時間をかけている。まさに佐賀県は“生きるミュージアム”だと思います。ここで見たことを世界中に伝えたい。世界はあなたたちを必要としています。私はそのために大使になった。これから、その役目をしっかりと果たしていきたいと思います」。
こうして、成功裏に大団円を迎えたのである。
アンドニ・ルイス・アドゥリス
1971年スペイン・バスク地方の美食の中心サンセバスチャン生まれ。錚々たるバスクのレストランで修業ののち、1998年〈ムガリッツ〉をオープン。2006年にミシュラン二ツ星を獲得。同年、World’s 50Best Restaurantsにランクイン以来、毎年ランクイン。スペインのNational Gastronomy Prize数々の料理賞を受賞。ハーバード大学やMITなどで講義を行う傍ら、20冊以上の著書を執筆。常に料理の可能性を探求し、世界に発信している。