May 26, 2026

世界的な逆風が吹くなかでフカヒレ料理を作る意義。

ライター:寺尾妙子

気仙沼の魚市場で、水揚げされたばかりの魚介類を吟味する黒森。

ジャパンタイムズが主催する「Destination Restaurants」は、その選定基準のひとつとして、食を通じて地方創生に貢献できるかということも見ている。そこには自然を含めた周囲の環境と、よい形で共生できているかという視点も加わる。そのようななか、毎年選ばれる10店の中でその年を代表する1店である「The Destination Restaurant of the Year」に今年、宮城県気仙沼市のフカヒレ料理専門店『気仙沼 KUROMORI』が選ばれたことに違和感を覚える読者も少なくないだろう。なぜなら、近年、海の生態系保護や動物愛護の観点から、フカヒレ、つまりサメのヒレを食べることが倫理的に好ましくないという風潮が世界的に広まっているからだ。

1999年には国連食糧農業機関や2010年の国連のボン条約やワシントン条約など、現在に至るまで、さまざまな国際機関がサメの保全や管理に関わる取り決めを行い、フカヒレ漁を規制している。さらにアメリカでは多くの州でフカヒレの売買や所持が禁じられ、イギリスでは輸入禁止の措置も取られている。欧米から反フカヒレの声が高まった結果、2012年、フカヒレの最大消費国・流通拠点である香港が、続いて2013年中国本土でも、政府が関わる食事会・宴会ではフカヒレを出さないことを宣言。この流れは民間企業にも波及し、高級ホテルや航空会社に始まり、フカヒレの提供や輸入を取りやめるところが激増した。

この流れは今なお続いているが、日本政府はこの流れに対し静観している状況だ。この背景には500種類以上いるサメのうち、100種類以上が絶滅の危機に瀕しているものの、日本一のフカヒレ産地である気仙沼で水揚げされるヨシキリザメやアオザメなどは絶滅リスクが極めて低いことや、日本の漁師はヒレだけをとって身を海に捨てる「フィニング」という残忍な行為を行なっていないという事実がある。そういった視点を踏まえれば、欧米発の反フカヒレ運動は風評被害とも受け取れる。

フカヒレは皮と骨を素早く手で取り除き、専用乾燥機で乾燥させる。

気仙沼市で半世紀以上、フカヒレの加工販売を手がけ、『気仙沼 KUROMORI』にフカヒレを卸している『石渡商店』3代目で、現在同社代表取締役の石渡久師は、気仙沼ではいかに捕ったサメをあますことなく利用しているか語る。

「気仙沼は昔からマグロ漁が盛んなのですが、延縄漁でマグロを獲るとサメも一緒に網に入ってきます。そのサメを活かすためにここ気仙沼ではサメの加工業も工夫されてきました。尾ビレや背ビレなどのヒレはフカヒレに。2023年に仙台市で開かれたG7科学技術相会合で、当時科学技術担当相だった高市早苗首相が、東日本大震災の復興を目的に作られたサメ革ヒールを履いたことが話題になったように、皮も利用できるほか、肉は練り物やペットフードに、内臓は肝油、骨はサプリメントの原料と余すことなく使用するため、捨てるところがほとんどありません」

『⽯渡商店』代表取締役・⽯渡久師。

『気仙沼 KUROMORI』シェフ、黒森洋司は、フカヒレを使った料理に対する思いを次のように語る。

「気仙沼では江戸時代から『俵物三品』と称して、俵詰にして長崎県から輸出されていた乾燥ナマコやアワビと共にフカヒレが中国に輸出されていたという歴史があるほど、街の重要な産業になっています。そんなフカヒレについて、気仙沼の人たちが創意工夫をして行ってきたことこそがサステナブルだと、この街に店を構えて伝えていくことが僕の使命。乾物であるフカヒレを上手に戻して調理するには知識と経験が必要になり、誰にでもできるわけではありません。僕が東京の高級中国料理店でそれらを扱っていたことが、すごく役に立っています」

10年以上前に料理人の黒森と生産者の石渡が出会って以来、2人で手を取り合って、フカヒレの価値を高める努力をしてきた。

1960~1970年代まで、皮付きで塩漬けにしてから干していたフカヒレを、石渡の祖父が新鮮なうちに皮を剥ぎ、骨を除いてから干す方法を編み出し、今ではそのやり方が世界的なスタンダードになっている。

黒森自身も足繁くフカヒレの加工工場に顔を出している。

「徐々にフカヒレの加工技術が上がっていって、今、我々はその次の段階を模索している最中。海にいるサメは世界のどこでも同じですが加工の仕上げにより品質は変わってきます。フカヒレを単なる仕事や投機の対象として扱う国と、きちんと食べ物として尊重して扱う気仙沼とでは仕上がりはまるで違います。実際に私はインドネシアやスペインなど世界中の加工工場を訪ねてみて、鮮度や安全性を含め、気仙沼のフカヒレの品質が世界一だと確信しています。そこに黒森さんのような料理人の手が加われば、さらにその価値を高めることができるはず」と石渡が思いを口にすれば、黒森はこう述べる。

「一般的な中国料理店ではフカヒレが出たとしても尾ビレだけ。ところが、うちのコースでは4種類のサメの胸や背中のヒレ、エンガワなど、9種類のヒレを出します。料理人たちがお客さんとして食べに来ると、フカヒレの新たな魅力に目覚めるわけです。すると彼らから1週間以内に様々なフカヒレの部位の注文が石渡商店に入るんです」

さらに黒森は続ける。

「気仙沼ではサンマやカツオも有名ですが、インバウンドを呼び込む切り札としては難しい。一方、贅沢な中華食材であるフカヒレ料理を地産地消で食べられるのは世界でも気仙沼だけ。今、世界的にフカヒレを食べることが制限されているからこそ、逆にセレブリティがここを目掛けて食べに来る可能性があるのではないでしょうか。自分がやるべきことをやれば、どこからでもお客さんは来てくれるはずです」

たとえ人口減少が著しくとも、観光人口が増えれば地元は潤う。街をあげてサステナブルにサメを扱う気仙沼の取り組みが海の向こうにも広まれば、フカヒレを巡る環境も変わるかもしれない。黒森はその最前線にいる。

黒森洋司(くろもり ようじ)

1976年、神奈川県横浜市生まれ。8歳から20歳まで北海道で過ごす。高校卒業後、札幌にあるホテルの中国料理店で料理の道に入り、21歳で上京。西麻布『香港ガーデン』で香港出身の料理人から広東料理と点心を学び、その後、東京『福臨門』グループに入社。同グループ初の日本人料理長を経て、飲食店のコンサルタント業に携わっていた。2011年に起こった東日本大震災をきっかけに同年10月、宮城県仙台市に移住し、餃子専門店やケータリングを経て、2014年『KUROMORI』オープン。市内で2度、移転の後、2025年9 月、気仙沼市にて『気仙沼 KUROMORI』をオープン。

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